『ロンバケ』『タッチ』……当時のトレンドがあちこちに

脚本は岡田惠和。自身のルーツも沖縄にあるということで、本質を細胞レベルで理解しているからこその成功だったのかもしれない。以前、拙著『みんなの朝ドラ』で岡田にインタビューしたとき、沖縄の社会問題はあえて描かなかったと言っていたが、えりぃを沖縄返還の日に生まれた設定にしただけで、十分、思いが伝わってくる。沖縄の返還以前を知っている世代・おばぁや父母と、返還以後の世代・えりぃたちきょうだいというところで、えりぃが東京に行くということにも説得力があるのだ。

えりぃと文也をつなぐ小道具・スーパーボールは、北川悦吏子の月9『ロングバケーション』(1996年)のようだし、和也と文也は『タッチ』だし、東京でえりぃが暮らす、個性派住人が集うアパート「一風館」は『めぞん一刻』で……と、その当時のトレンドをうまく取り入れて、親しみやすくしているところもじつに巧みなのである。

文也が医者、えりぃが看護師という職業も、視聴者誰しもに関わりのあるものだ。職業によっては一部の人にしか訴求しない場合もあるが、医療関係が選択されたことも良かった(かといって毎回医療ものにするわけにいかないが)。

『ちゅらさん』以降、朝ドラはどう変わってきたか

沖縄という固有の文化を持つ地域を描きながら、できるだけ普遍的なもので全体を固め、見る人の裾野の広い作品になった『ちゅらさん』によって幕を開けた21世紀の朝ドラ。以降の23年間、我々は、白黒や陰陽を切り分けず、誰もが白も黒も陰も陽も持っていて、むしろグレーに混ざっているところもあるという認識のもと、グラデーションの表現を求めるようになった。

そういう物差しで見ると『ちゅらさん』は性格が単純過ぎるとか、流されやすいとか、東京で文也に運命的に出会うなんてご都合主義だとか指摘されそうではある。もしかして沖縄の社会問題を描いていないとか、いまなら問題視もされるのだろうか(ないとは思うが)。