――想定外の出来事でしたか。
そうですね、雲の上だった人が頭を下げることは考えられなかった。この謝罪を受け入れないのは違うかなと。その時、僕は福島に元気を与えたいと、2度目のエベレスト挑戦を模索している時期でした。エベレストに挑戦するにはネパール政府に支払う入山料、渡航費、滞在費、登山ガイド費用などで計1000万円近くかかる。当時はまだはやっていなかったクラウドファンディングで資金が集まらなかったので相談したら、「オレにできることなら何でもする」とニコニコ動画の生放送で、エベレスト登頂資金を呼び掛ける番組を作っていただきました。最終的に600万円が集まって。今回の映画出演はリスキーなお願いだと思ったのですが、「悪魔扱いされようと、なすびがインタビューを受けてほしいというなら逃げずに受けるよ」と承諾していただいた。当時の電波少年の別のプロデューサーも「今まで懸賞生活に関わる取材は一切受けなかったけど、土屋さんにお願いされたから受けるよ」と出演してくれて。思いの行き違いがあった時期がありましたが、新たな関係性があったから映画が完成したことは間違いないです。
「今じゃないよ」
――今は「懸賞生活」をどう捉えているでしょうか。
電波少年はいろいろな企画がありましたが、1年3カ月、1人で部屋にこもった企画を乗り越えたのは僕しかいない。普通の人はできません。後輩の芸人には悪い前例を作ったと思います。その後の企画で「なすびができるのに、なんでできないんだよ」と言われていたみたいなので。25年の月日が経ちましたが、今になって思うのはこの映画が上映されるために、懸賞生活をやったのかなと。映画制作がトントン拍子で進んだら、エベレストの登頂前に完成していたかもしれないけど、僕の人生を描くうえで神様が「今じゃないよ」と感じたのかもしれない。つらい出来事だったので美化するつもりはありませんが、良しあしではなく、こういう人生のレールが敷かれていたのかもしれないと感じています。
なすび/俳優、タレント。1975年、福島市出身。98~99年に出演したテレビ番組「進ぬ!電波少年」での懸賞生活で話題を呼んだ。俳優としても活躍。福島県の「あったかふくしま観光交流大使」や環境省の「福島環境・未来アンバサダー」を務める。
(平尾類)