19歳ではじめてファッションヘルスに
生まれは大阪。両親がそれぞれに家を出ていき、お好み焼き屋を営む祖母と大叔母に、小西さんと妹は育てられたという。
「毎週店の休みの日には、いろいろな場所に遊びに連れて行ってくれました。店が繁盛して忙しい中、品数のある晩御飯を用意してくれるなど、愛情をたっぷりに注ぎながら私たちを育ててくれた。めちゃくちゃパワフルな2人でした」
風俗の仕事に入ったのは19歳、家のポストに入ったチラシで、こんな仕事があるのかと興味を持った。
「付き合っていた人と一緒に住みたいと思い、同棲資金の数万円のお金欲しさに軽い気持ちで始めました。やってみて無理だったら、すぐに辞めればいいやと。店舗型のファッションヘルスだったのですが、意外と自分はしんどくないことがわかって。サービスする部屋の傍にお店の人がいるので、安全面でも、比較的安心感がありました」
裸になって男性と二人、密室で肌を重ねる――。そこに気合を入れないと越えられないハードルを感じる女性が少なくないようだ。事実、SNSに散見される風俗店への出勤を憂鬱に思う女性たちの投稿を見ていると、楽な仕事ではないのだろう。が、小西さんは実に軽やかに乗り越え、特別感も抱かなかったという。これこそ、「今」に通じる運命だったのか。
大好きな祖母の最期を決断
高齢となった祖母は衰えが激しく、店をたたむこととなり、今度は小西さんが祖母を支える側となった。風俗で稼ぐ月100万円の収入が、祖母と自分の生活を支える貴重な糧となった。
祖母は認知症になり介護施設に入所。小西さんは祖母の施設代や医療費などのために、風俗で必死に働いた。
懸命に介護をつづけていたが、やがて祖母はパーキンソン病を患ったことで、食べ物を飲み込む力が無くなり、みるみるうちに元気がなくなっていってしまった。そこで、病院に移り胃ろうで栄養を摂る延命治療を行うか、家で自然な看取りをするのかという重大な選択が、小西さんに課せられた。
「人生で、あんなにつらかったことはありません。生まれた時から一緒にいたおばあちゃんの最期を私が決めないといけない。身内ふくめ他に頼れる人もいなかったので、ものすごく悩みました。生きてほしいと思ったけれど、祖母がまだ元気だったころに『延命はしないでね』と以前、私に伝えてくれていて。考え抜いた結果、自宅に連れて帰りたいと医師に言いました」
放心状態のまま帰宅すると、病院での話し合いから横でじっと寄り添っていた訪問看護師が口を開いた。その言葉に、小西さんは救われたという。
「理恵ちゃんが頑張って出した答えやから、後悔しないように、一緒に頑張ろう」
小西さんは仕事を休み、祖母と一緒に過ごした日々を思い返しながら看病した。その5日目に、祖母は息を引き取った。