※本稿は、青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』(角川文庫)の一部を再編集したものです。
4人の弟たちを恐れさせたゴッド・シスターだった
『追想のひと三淵嘉子』(三淵嘉子さん追想文集刊行会)のなかで嘉子の実弟・武藤輝彦が姉について語っている。それによれば、
「弟共は『女性とは偉大でコワイモノ』、女尊思想に徹せざるを得ませんでした。すべて結婚まではオンナを知らないオトコになってしまいました。そして一生長女の特性=一種のワガママを貫く『ゴッド・シスター』でした」
と、語っている。嘉子の下には輝彦をはじめとして4人の弟がいたのだが、彼らにとって姉は、強烈な個性を主張しつづける傍若無人な暴君と映っていたようではある。
日本初の女性裁判長という偉業が成せたのは強い個があったから
従来の常識や大方の意見に流されることなく、自分の信じた道を突き進む。そうでなければ「日本初の女性裁判長」となる偉業を成し遂げることはできない。しかし、個を強く主張すれば「わがまま」「空気が読めない」と疎まれるのは、現代の日本でもよくあることだ。だが、不思議なことに、嘉子は嫌われることがなかった。弟の「姉いじり」にも深い愛情のようなものを感じる。
家族以外の相手にも個を主張することはあったのだが、
「嘉子さんらしいなぁ」
と、それが好意的に受け止められる。彼女はその強い個性を世間と上手く協調させる術すべを身につけていた。無意識に好き勝手な振る舞いをしているように見えて、これで意外と周囲の人々の反応をよく見ている。相手の許容範囲を測りながら、押したり引いたり。やり過ぎたと思えばフォローも忘れない。愛されキャラの暴君。豊臣秀吉みたいな感じだろうか。
弟たちには暴君であった嘉子なのだが、父母に対する態度はちょっと違う。逆らわない、逆らえない。戦前の家庭で親の権力は絶対だ。しかし、幸いなことに父や母は嘉子のような暴君ではない。頭ごなしに自分の意思を押しつけて、子どもたちの個性を抑圧するようなことはしなかった。