どこにでも行くことができて自分の心に向き合い続ける

こうした多拠点生活を「遊行ゆぎょう」といいますが、遊行をしていたのは釈迦牟尼だけではありません。彼の弟子たちもそうですし、仏教に限らずバラモン教など他の宗教や哲学者なども、多くがそのようなスタイルを取っていました。

古い伝承には、修行者を数千人も抱える大僧院で、僧院長がチベットに招かれて何年も滞在したという記録が残っています。私たちの感覚では、それだけ偉大な僧院長であれば、みんなが会いに来るのが普通だと思うでしょう。

けれど、僧院長が自ら行くんですね。彼の中にも「ここがわしの寺じゃ」という発想はなかったのでしょう。

現代でもミャンマーや東南アジアでは、拠点を一カ所に限定せず定期的に動くスタイルで生活している僧侶が、一定の割合で存在します。

このように、「どこにでも行く」というのが元来の仏教の思想です。そもそも僧侶はあらゆる執着を離れて心が自由になった人という前提なので、自分の身体を縛る「家」は最も持つべきものではないと考えられます。

僧侶になることを「出家(=家を出る)」と書くのは、そういうことなのです。

ここでの「家」には二つの意味があります。一つは家庭で、家族を養わなければいけない、血縁の義理を果たさなければいけないという意味での「家」です。もう一つは、住居や本拠地を表す物理的な意味での「家」。

この二つを離れ、どこにでも行くことができて自分の心に向き合い続けるのが、出家者の本来の姿です。

寺を成立させる「布施」の概念

ところで、修行者たちが渡り歩く拠点――寺や僧院に、今でいう「住職」の発想が薄いのであれば、それらはどのように運営されていたのでしょうか。

そのときにキーワードとなるのが、「布施」の概念です。もちろん大規模な寺であれば、管理運営のためにそこに定住する出家者も一定数はいたはずです。

しかし基本的には財政面でも運営面でも、見返りを期待せず、無理なく余剰を出し合う「布施」で成り立っているのが本来の寺院です。

では、誰が布施をするのか。それは、その地域の在家(出家していない信仰者)の人たちです。仏教には「豊かさとは余剰であり、余剰とは他者に与えることができるものだ」という考えが基本にあります。ですから、余剰の食べ物や金銭、労働力をみんなが出し合うのです。

ただその布施は、仰々しく「ご奉仕をするぞ」「持って行かなくちゃ」というものではありません。実際にミャンマーなどでは、「ちょっとコンビニに行ってくるわ」くらいの軽いノリで、寺に奉仕をしに行くのです。

そうした地域の寺には、何百人もの修行者に食事を提供するための巨大なキッチンがあることが多く、近所に住む人が「ちょっと玉ねぎの皮を剥いてくるわ」と寺に集まります。

そこはまるで井戸端会議で、みなさんすごく楽しそうです。「用事があるから帰るわ」と適当なタイミングで抜けていいし、来ないからといって非難されたりもしない。

ミャンマーの僧侶
写真=iStock.com/oliver de la haye
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