1980年代後半から1990年代前半にかけて、テレビ局がプロのアイドルやモデル顔負けの容姿端麗な女性アナを採用する傾向が強くなった。1986年には男女雇用均等法が施行され、それに便乗して局がアピールしたかったという意図もあるが、最も大きな理由は「バブル景気」である。社会全体が浮かれたバブルにふさわしく、高学歴は当たり前で「華がある」ことが重要視されるようになったのだ。

それはバブルの崩壊とともに、顕著化してゆく。そこにあるのは、テレビ局の「視聴率ありき」の商業主義だ。バブル崩壊で売り上げが苦しくなった局にとって、女性アナは芸能人を使うより安く済み、むしろ視聴者受けがいい。女性アナは「商品化」され、「テレビ局の広告塔」となってゆく。実力や実績は関係なく、局の幹部の意向で採用が決まってしまうことも多かった。

このような状況であるから、アナウンサー志望の女性は学生時代から涙ぐましい努力をする。各局が主催するアナウンススクールに通って技術を高めるのは当たり前で、メイクの技術を磨き、歯列矯正やホワイトニング、髪のトリートメント、ダイエットやエステまでおこなって「他人より美しく見える」ように自分に投資をする。男性との接触を避けたり、写真撮影や飲み会の参加を控えたりするのは日常茶飯事で、アナウンサーの出身が多いという理由で大学を選ぶ者もいるほどだ。

お台場のフジテレビ本社の球体部分
写真=iStock.com/Carlos Pascual
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「ちやほやされて、タレント気取り」のウソ

そんな彼女たちの目的は何か。

「アナウンサーになること」である。「タレントやミスコン出身者が多い」と言うが、タレントになりたかったりミスコンで優勝したかったりするわけではない。タレントやミスコンは単なるステップだ。アナウンサーになるための手段に過ぎない。

それは男性アナウンサーにはないハードルだ。女性アナはすでにこの段階で、「女性アナウンサーは容姿端麗でなければならない」というアンコンシャス・バイアスと過剰で孤独な「ルッキズムという闘い」にさらされているのである。

そんな努力をしても、アナウンサーの狭き門をくぐれるのはひと握りしかいない。そういう意味においても、女性アナは入社したときから、サラリーマンでありながら「特別な存在」なのだ。であるから、②の「ちやほやされて、タレント気取り」というように見えてしまうのは仕方がないことだ。だが、実態はそうではない。女性アナには、意外とシビアな現実が待ち受けている。それが次の③「派手好き、交友関係が派手」という批判に隠された真実である。

プロ野球選手や経営者との結婚はほんの一部

視聴者や世間の人が、女性アナは「派手好き、交友関係が派手」だと思うのはどうしてだろうか。週刊誌やネットで男女関係を暴露されたり、交際をすっぱ抜かれたり、結婚相手を勝手に公表されたりするからだ。