大槌—「現実を見ろ」と言われて
柏崎繭(かしわざき・まゆ)さんは普通科2年生進学コース。バレーボール部(女子)でマネージャーを務める。自宅は震災前と同じ家だが「リフォームして住んでいます」とのこと。お父さんは45歳。震災前は「トンネルを造っていました」。今は「パソコンの勉強しながらお給料をもらっています」。お母さんは45歳。「病院で介護の仕事をしています」。柏崎さんが最初に意識した職業は、水族館で働く人だった。
「3歳から中学生のときまでは、浅虫(あさむし)の水族館で見たイルカの調教師になりたかったんです。でも、中学校の先生に『現実を見ろ』と言われて……」
浅虫の水族館とは、青森市から車で1時間ほど離れた温泉街にある、1983(昭和58)年にできた県営の水族館。大槌からは車で約6時間かかる。柏崎さんが生まれる前の年、1994(平成6)年に「いるか館」がオープンしている。イルカの調教師は、女子中学生のなりたい職業ランキングでは必ずベスト10に入る(そして高校生相手に調査すると圏外に消える)人気職種。「現実を見ろ」と言われた柏崎さんが今、なりたい仕事は看護師だ。先ほど、お母さんが介護の仕事をしていると聞いたので、こう問うてみる。介護ではなく看護なのは、なぜ。
「専門があるから。最終的になりたいと決めたのは震災のときです。私の中で介護という仕事は、日常生活の援助というイメージで——そういう仕事もいいんですけど、医療を通じて人々を救いたい! と自分が思っているイメージとはちょっと離れてると思うんで。なので、私は介護ではなく看護にしたんだと思います。人生の中で、しっかりとした知識や経験を身につけたいというのもあるし、国家試験ということで就職率も安定しているのではないかと思っているのも少しあります(笑)。でも、今回の震災で看護師さんやお医者さんがたくさんの人を助けている姿を見て、その時から私も、こんなふうに人を救いたいと思う気持ちが強くなりました」
震災直後、大槌の街は役場も病院も津波に呑まれ、高台の大槌高校が町の機能を集約・代替したことは先にも書いた。春休みの校舎は「野戦病院」になった。柏崎さんはそこで何人もの「なりたい仕事をしている人たち」が働くのを見て、思いを強めた。では、その仕事に就くためには、柏崎さんはどういう進路を歩もうと考えているのか。
(次回に続く)