※本稿は、工藤勇一『校長の力 学校が変わらない理由、変わる秘訣』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
学校経営的に考えれば大きな問題があった運動会
赴任した当時の麹町中では、運動会の競技は先生が決めた種目を生徒に行わせていました。生徒たちに自由があるとすれば、学年の種目だけでした。
1年生は「台風の目」という、棒を持ってグルグルと回る競技を行っていました。3年になるとクラス全員、大縄で結ばれたムカデ競走。そういった伝統的な種目がすでに決まっていて、どのクラスも優勝をめざしてみんなで一所懸命、朝練をやったりしながら、技術をあげて勝負する。当日は多くの子どもたちが勝って泣き、負けて泣く。
青春ドラマ風のストーリーでした。
しかし、学校経営的に考えればこの教育活動には大きな問題があります。
そもそもどのクラスも優勝をめざして取り組むわけですから、優勝した1クラス以外は目標が実現しない教育活動だということです。5クラスあれば4クラスが、10クラスあれば9クラスが負ける教育活動です。言い方を換えれば、ほとんどのクラスが失敗する行事です。
中には練習がうまくいかず、友達同士が仲違いし、クラスがバラバラの状態になったりもします。運動が苦手な生徒の中には、馬鹿にされたり責められたりするのがいやで登校をしぶるようになることもあります。スポーツは楽しいよと教えるはずの運動会が、生徒によっては苦痛を与えられるものになってしまうのです。これがきっかけで、人間関係がボロボロになる子どもたちすらいます。
運動会を「民主主義を学ぶ教育活動」にした
しかし、教員の中には「それこそが人生の学びであり、勝つという目標をめざして団結して、たとえ負けても努力することこそが教えるべき大切な教育だ」なんて、もっともらしいことを述べる人がやたら多いのが実態です。
でもそれは真実でしょうか。教員たちにスポーツのあるべき姿を考え直してほしいのです。
そこで僕はすべての子どもたちにとっての学びの場にすべく、強制的に団結を強いるこれまでの運動会を小手先で改善していくのではなく、新たに民主主義を学ぶ教育活動として生徒たちにこう伝えました。
「運動会はやめよう。生徒たちのお祭りとしての体育祭にしよう。どんな体育祭にするか、その決定権を全部君らにあげるよ」と。
当然、生徒たちは大喜びですが、これまで決定権をすべて委ねられたことなんてありませんから大変です。子どもたちはいったい何をどう始めればいいのか、はじめはまったく見当がつきませんでした。
僕は生徒会のメンバーを校長室に呼び集め、他の学校ではどんな体育祭をやっているのかを調べてみよう、というところから始めました。