「論破王」の呼び名に思わず失笑

ところで私は、もともとテレビを見る習慣があまりない。2015年からフランスに住みはじめたこともあって、さらに日本のお茶の間事情にうとくなった。

だから、フランスに来てからも、ひろゆき君が定期的に日本に一時帰国していることは把握しているものの、メディアに出る機会がだいぶ増えたことや、世間から「論破王」として知られていることに気づいたのは、だいぶあとになってからだった。

はじめて「論破王」という呼び名を聞いたときには失笑してしまった。

「なんかちょっとダサくない?」と言うと、「おいらからそう名乗ったわけじゃないし」と不服そうなひろゆき君。呼び方を受け入れている時点で、自分でもなかば認めているようなものなんじゃないかなぁという感想を抱きつつも、ただ、メディアってキャラが立ってる人のほうが重宝されるし、それを上手に使いこなせる人が、結果として残っている世界のようにも見える。

まぁ、好きにやるのがなにより好きな人なので、自由にすればいいのではないかと思っている。「お前の旦那は……」と私を巻き込もうとする外野は、間に合っていますけどね。

家庭では論破はしてこない

そんな論破王と暮らしているせいか、「ひろゆきさん、家庭でも論破しようとしてくるんですか?」と聞かれることがある。結論から言うとノー。

だって、想像してみてほしい。たとえば解説系のYouTuberは、みんな「この僕/私が教えてあげますよ」って目線で家族に接しているのだろうか?

ほかにも、たとえば子育て支援施策が全国的に話題となった兵庫県明石市の前市長である泉房穂氏や、「行列のできる法律相談所」をはじめとする数々のメディアに出演し、大阪府知事を務めた橋下徹氏、メディアでは堂々とした、時には強気と受け取られるような発言をする人たちは、家庭内でも同じような姿勢を維持しているのだろうか?

そんなことしてたら結婚生活維持できなくない? 知らんけど。

話をひろゆき君に戻すと、たしかにヒートアップすると饒舌じょうぜつになる部分はあるし、気になる仮説を見つけると、たとえ私がそれに興味がなくても、ずっとひとりで勝手に推論を話し続けているときもある。

でも、プライベートでの彼は基本は物静かだし、たとえ議論となりその場では意見が合わなかったとしても、紙1枚分でも良い方向に進むための努力をしようとする人だ。

誰かとともに暮らすって、軌道修正と改善の繰り返しだ。それができる人だから一緒にいるのだ。それに、私を論破しようとするのなら、撮れ高もないのにめちゃめちゃ面倒なことになること必至なのは、彼自身がいちばんよくわかっているだろう。

「家庭内での論破は、百害あって一利なし」なのである。