徳川将軍家の居城であり江戸幕府の政治的拠点だった江戸城は、どんな城だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「常に厳重な警戒態勢下にあり、出入りするには幾重にも設置された門を通る必要があった。ドラマのように、将軍が市中で悪人を成敗することは不可能だった」という――。
名古屋グランパス対アルビレックス新潟。試合前に「マツケンサンバII」を歌う俳優の松平健さん=2023年8月5日、東京・国立競技場
写真=時事通信フォト
名古屋グランパス対アルビレックス新潟。試合前に「マツケンサンバII」を歌う俳優の松平健さん=2023年8月5日、東京・国立競技場

痛快を絵に描いたような番組「暴れん坊将軍」

昭和53年(1978)から平成14年(2002)までレギュラー放送されていたテレビドラマ『暴れん坊将軍』(テレビ朝日系)は、国民的時代劇と呼ぶに相応しい人気シリーズだ。現在もテレビ朝日やBS朝日、CSの時代劇チャンネルなどで再放送され、多くの視聴者に支持されている。

『暴れん坊将軍』の主役は、八代将軍・徳川吉宗。将軍は貧乏旗本の三男坊、徳田新之助を名乗って町に繰り出し、悪人たちの前で身分を明かして平伏させる。だが、彼らはたいてい開き直って歯向かうので、吉宗はみずから刀をとって大立ち回りを演じ、悪人たちを成敗する。

同じ国民的時代劇の『水戸黄門』では、悪人たちは印籠を観た時点でぐうの音も出なくなるのがパターンだが、『暴れん坊将軍』の場合、悪人たちは相手が将軍だと知っても抵抗する。しかし、吉宗には彼らを打ちのめす剣の腕がある。

一点の曇りもない勧善懲悪なのである。しかも、吉宗は絶対に負けないので、安心して見ていられる。痛快を絵に描いたような番組だといえよう。

将軍が街に出るルートを検証する

では、将軍吉宗はドラマに描かれたように、忍びの姿で市井に繰り出したことがあったのだろうか。これについては大方の視聴者も、そんな史実はなかったと感じているのではないだろうか。

なにしろ、将軍が刀を振り回したりして万が一のことがあったら、幕府はたちまち危機を迎えかねない。番組では絶対にケガをせず、だから観ていて痛快なのだが、現実には大立ち回りを演じれば、ケガをするリスクは非常に高い。

さすがに刀は振り回さなくても、将軍が忍びの格好で市井に繰り出すことぐらい、たまにはあったのではないか――。そのように想像する向きもあると思うが、現実には、それは絶対に不可能だった。では、どう不可能であったのか、将軍が暮らしていた江戸城内の道のりをたどって確認してみよう。

まず、いま残っている江戸城を歩くことで、将軍が市井に出ることがどれだけ困難だったか、実感したい。