今のメディアは統制しなくても統制されている
「その場しのぎ」といえば、政治家の発言にはそれしかない。これでは国民がそっぽを向くのも無理はない。しかしもっと深刻なのは、それを追及しようとしないメディアだ。メディアはその場しのぎであってはならない。
振り返ってみると、戦前のメディアにはそれなりに力があったのではないか。戦時は言論統制が厳しかったというが、統制が必要なほどに言論が自由活発だったということではないのか。今のメディアは統制しなくても統制されている。それほどに、エネルギーがない。
エネルギーがないとは、秩序崩壊が進んでいるということである。とはいえ、既存の秩序が崩れていくとき、必ず新たに何かが生まれつつあると考えることもできる。賢明な指導者なら、その動きを察知してそこから新秩序を育てあげようとするだろう。それができる人がいないのが今の日本である。
秩序崩壊を見とどけるのは容易だが、どのような再構築がどこでなされているのかを見分けるのは難しい。だからこそ、それを専門とする社会学者が必要だ。ところが、自然科学や人文学と比べ、社会科学は進んでいない。かつて、中国史の先生が言っていた。「東アジアで最も遅れているのは社会科学なんです」と。
反証される可能性を残してこそ科学
ポパーに話を戻そう。彼が強調した「反証可能性」という概念は、万人が心に銘記すべきものである。20世紀で最も重要な概念といえるかも知れない。
彼がいうには、科学は反証される可能性を残していなくては科学ではない。地球が太陽の周りを回っているというのは永遠の真理ではなく、今のところ正しいとされているだけのもので、いつかそれが反証される可能性があるからこそ、これを科学と呼ぶことができるというのである。
これを初めて耳にした時、なんでそんなことを言うのかと思ったが、今になってこれはすごい発見だったと思う。多くの人にとって科学とは真実として出来上がっているものなのに、ポパーは科学で重要なのは真実ではなく、真実と思われていることを虚偽として証明する可能性をもつことだと言っているのである。