天才たる所以は批評家談志の凄さ

元木昌彦氏(元週刊現代編集長)

【元木】師匠は、常に演じてる自分を見てる自分がいて、こうやったほうがいいよ、こうなんじゃないのと意識して演じていました。それと2007年12月18日「よみうりホール」の「芝浜」のように、ミューズの神が降りてきて、演じ終わって、全身全霊をかけた虚脱感で“ハァー”というときがある。それと、いまおっしゃったように、終わって幕を下げないで、そこで言うひと言がまた楽しみでした。

【山本】落語家の談志もすごいんですが、批評家の談志が同じくらい凄いっていうのが、談志師匠のほんとに凄いところです。“ミューズが下りた”って本人が言って、それはとてもよかったと思います。さらに2年ぐらい前の非常にいい出来だったと思う「芝浜」を、同じよみうりホールで聴いているんです。だけど、談志師匠の「芝浜」があんなに磨かれて他の人と違う境地になったのは、最後の場面の、勝さんのおかみさんがどんどん膨らんできたところでしょうね。

【元木】そうですね。

【山本】今までたんにとてもモダンなおかみさんだった。現代に生きてるおかみさんだったのが、ものすごく勝さんに惚れていて、自分もだましてて申し訳なかったという気持ちが溢れてくる。その場面がだんだん膨らんできましたよね。それで他の人の「芝浜」と違ってくる。僕も談志師匠がやるのは、あまりにも善人の噺で、落語に向いてないと思いながらサゲがほんとにあれでいいのかと。勝さんがお酒をついでもらって、暫く時間がたって「また夢になるといけねェ」って本人が言いました。でも、僕はおかみさんに言わせるべきだと。飲もうかどうしようかなと思ったときに、おかみさんが、「また夢になるといけないのかい?」とサゲたら、談志の「芝浜」になったんではないかと。

【元木】ほんとうですね。あの部分がどんどん変わっていきましたね。

【山本】そう、膨らんでいった……。だから最後は、おかみさんの台詞でサゲたら談志の「芝浜」が完結したんじゃないですか。そういう「芝浜」を聴きたかった。だからあれはもう十分に「神が下りてきた」と言ってもいい内容ですよね……。