あまりにも「完璧」である美智子上皇后

当時は見合い結婚が一般的で、良家の子女同士で釣書が出回り、見合いを盛んにしていた中で、美智子さまは人気抜群だった。聖心女子大学英文科で学ばれ、美人で、成績も抜群、全学自治会会長を務めるほど人望があるし、語学もできてスポーツ万能と、理想のお嫁さん候補としてお見合いの申し込みが殺到していた。作家の三島由紀夫ともお見合いをしたという。

国立西洋美術館を見学する美智子妃。
国立西洋美術館を見学する美智子妃。(写真=『家庭全科』1960年1月号/PD-Japan/Wikimedia Commons

容姿、知力、気配り、ストイックな倫理観などにおいて抜群で、国民的人気には比類ないものがあるし、陛下の相談相手として多くの良い影響を及ぼされた。

ただ、正田家は実業家一家で、母親も商社マンの娘として上海で育ち、華族社会とはまったく接点がなかった。結局、旧華族社会との齟齬そごは完全には克服できず、それが皇室の女将さん的な役割を貞明皇后のようには果たせなかった原因となり、そうした厳しい状況についての評判が、子どもたちの結婚の難航にも影響したのは事実だ。

また、あまりにもストイックな公務への姿勢は、今上天皇ご一家も含めたほかの皇室の人々にとって重荷になっているともいえるし、批判を非常に気に病まれることが、健全な批判すら封じていたところもある。

外交面での活躍を期待された雅子皇后

雅子皇后は、皇太子妃時代は厳しく批判され、皇后になられたら絶賛の嵐となったが、いずれも極端すぎる。ご体調がゆえに、内外の公務の量が上皇ご夫妻の時代に比べて、控えめなものに留まっていたり、直前まで決まらなかったりしているのは現実なのだから、現状をよしとするのでなく、もっとご活躍される可能性を広げるお手伝いになる応援の仕方をするほうが建設的だ。

今上陛下の結婚は難航することが予想されていたのに、宮内庁など各方面が先回りして自然な出会いの場を工夫するなど準備することもせず、無為無策だった。陛下は母親である美智子さまに遜色のない素晴らしいお妃を求められていた印象がある。

その結果として、エリート外交官の娘で、卓越した学歴の女性外交官である小和田雅子さんに白羽の矢が立ち、国民も素晴らしい選択だと絶賛した。

ただ、皇太子妃に求められるのは外交での活躍だけではない。雅子さまご本人にとっては予想外なことも多かったかもしれないが、お妃となるさまざまな厳しさは、総理秘書官や外務事務次官まで務め頭脳明晰な父・小和田恆氏なら分かっていたはずだ。それを雅子さまに説明し、準備してもらえていなかったように見えるのは、小和田氏の用意周到な仕事ぶりに直接、接した経験から不思議な気がする。