平安時代、中宮彰子に仕えた紫式部は宮中や藤原道長邸での出来事を日記に書きつけていた。文筆家・堀越英美さんが『紫式部日記』を現代の言葉で訳した『紫式部は今日も憂鬱』(扶桑社)より、彰子の里帰り出産の様子を紹介する――。
紫式部日記絵巻断簡より抜粋(写真=東京国立博物館蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
紫式部日記絵巻断簡より抜粋(写真=東京国立博物館蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

物の怪を身代わりに乗り移らせるチャレンジ

九月十日、夜がほのぼの明けようとするころ、ご出産に備えてお部屋のインテリアが白一色に変わり、中宮様は白い御帳台(※)にお移りになった。道長殿をはじめ、殿のご子息たち、四位五位の官人たちが大騒ぎしながら御帳台に帷子(※)をかけたり、敷物を抱えて行き交ったり、すごくせわしなく立ち働いている。

※御帳台は柱を立てて周囲を囲った貴族のための寝台で、天蓋てんがい付きのベッドのようなものだよ。帷子はそこにかけるカーテンみたいな布のこと。出産のときはインテリアも衣類も白で統一するのがしきたりだったんだ。

中宮様は一日中、とても不安そうに起き上がったり横になったりして過ごされた。中宮様にとりついている物の怪を身代わりの「よりまし(※)」に乗り移らせようと、僧たちが声を限りにがなり立てる。ここ数カ月の間お屋敷に控えていた僧たちだけでなく、あちこちの山や寺から修験者(※)という修験者が一人残らずかき集められているのだ。

※修験者は、加持祈祷きとうをして物の怪を退散させる修験道の行者だよ。よりましとは、修験者が祈祷するときに物の怪を乗り移らせるためにそばに置いておく童子や女のこと。よりましに移った物の怪を祈祷で責め立てて正体をしゃべらせ、正体がわかったところで説教して追放するという段取りなんだ。

40人以上の女房がぎゅうぎゅう詰めで待機

これだけの僧が投入されているのだから、過去現在未来の仏がどれほど空を翔け回って邪霊を退散しまくっていらっしゃるだろうかと想像せずにはいられない。名の知られた陰陽師(※)もみんな召集されているのだし、八百万の神だってシカトするはずがないと思われる。

※陰陽師は呪術や占術の技術体系として日本独自の発達を遂げた陰陽道に基づいて吉凶を占い、悪霊を祓う人だよ。

寺に読経を頼みに行く使者が一日中せわしなく出発するうちに、その夜は明けた。

御帳台の東側では、内裏の女房たちが集まって控えている。西側には中宮様の物の怪が乗り移ったよりましたちが集められ、それぞれを屏風でぐるりと囲んで入り口に几帳を立て、一人ずつ担当の修験者たちが大声でお祓いしている。南側にはすごく偉い僧正や僧都たちが重なるように居並び、不動明王を生きたまま呼び出しかねない勢いで、すがったり恨んだりして、すっかりかれてしまった声が激しく聞こえてくる。

そしてあとで数えてわかったのだが、母屋と北廂を区切る北側の障子と御帳台との間のとても狭いところに、なんと四十人以上の女房が待機していた。身動きさえままならず、のぼせて何が何だかという状況だ。今になって実家から参上してきた女房たちは、せっかく来たのに入り込むことができない。裳の裾や衣の袖がどこにいったのかわからないくらいの混雑ぶり。長くお仕えしているベテラン女房たちは、声を殺しながらも泣いて動転している。