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「退避」という名の強制移住も認めてはならない

世界は今、「法の支配」という民主主義の大原則を、今後も守り続けられるかどうかの瀬戸際に立っていると僕は考えています。イスラエルとパレスチナの間には、歴史的に解きほぐすことの難しい問題が横たわっています。その特殊性から「法の支配の考え方を厳格に当てはめるのは困難」とする意見もあります。でも、中東の事情から法の支配を簡単に放棄してしまえば、世界は無秩序に向かってまっしぐらとなってしまいます。

今回のハマスによる襲撃は明らかなテロ行為であり、イスラエルの自衛権は一定認められると、僕も考えます。ただし、その「自衛」はあくまで国際法で認められる範囲であり、国際人道法も順守する必要がある。特に、「均衡性の原則」は堅持しなければなりません。「ハマス殲滅のためならパレスチナの一般市民の犠牲もやむなし」「100人殺されたら、100倍返しの1万人殺してもいい」という論理は到底成り立ちません。そう考えると、今イスラエルが行っているガザ地区への大規模空爆は、果たして法の支配において正しいことか、僕は問いたいのです。

イスラエルの国旗を持って歩くイスラエル軍の兵士数人のバックショット
写真=iStock.com/Diy13
※写真はイメージです

ハマスによって攻撃されたというイスラエルの音楽イベントには、大勢の一般市民や観光客が参加していました。報道によればその多くが殺害・拉致されたのです。当事者はもちろん、家族の嘆き、悲しみ、そして怒りはいかばかりでしょう……。ハマスに報復したいという心情も理解できます。

しかし、僕らは21世紀の法治国家である日本で生きています。たとえ殺人の被害にあっても、国内では私的な復讐は法律で禁じられています。もし不幸にもあなたの家族が犯罪に巻き込まれたとして、あなたは犯人に報復できるでしょうか? いくら悔しくても、自分でやり返したりはせず、警察の捜査や裁判に委ねなければならないのです。これが法治国家の大原則であり、先進国である日本において国民はその原則を受け入れています。イスラエルの人たちも同様でしょう。

ところが国際関係となると、その原則が見失われてしまいがちです。相手が同胞ではないパレスチナ人ならば、武器を持たない女性も子どもも老人も、ハマス殲滅という目的達成のために殺してもいいのでしょうか? 「法」とはルールです。国際社会でも国家でも企業でも、およそルールに基づく組織運営をする以上、仮に嫌いな相手でも、自分が不利になろうとも、ルール順守は絶対です。

もし、嫌いな相手に対してはルールを破ってもいい、自分が不利な場合はルールを無視していい、相手が先に破ったら自分も破ってもいい、となれば「法による統治」「ルールに基づく組織運営」は成り立たなくなります。

そもそも現代の国際法に則れば「暴力による解決」「力による現状変更」は絶対に認められません。イスラエルとパレスチナの共存を約した1993年のオスロ合意、さらには47年の国連パレスチナ分割決議を起点にすれば、その後のイスラエルによるヨルダン川西岸地区への入植活動は明らかに国際法違反です。これはイスラエルによるパレスチナ侵略だと僕は考えます。パレスチナ人から見れば、イスラエルの建国そのものが「侵略」なのかもしれません。さらにイスラエルによるガザ地区の封鎖は、ガザ地区内を「天井のない監獄」にしていると評されるほど、人道法上の問題を引き起こしています。

イスラエルの分離壁
写真=iStock.com/Joel Carillet
※写真はイメージです

ですから極論すれば、今回のハマスによる襲撃は、イスラエルの侵略に対する自衛権の発動だという見方もできます。しかし、仮にそうだとしても、あれだけイスラエル市民を虐殺した行為は、人道法に反し自衛の範囲を逸脱しています。すなわちハマスの行為を非難できるのも、自衛も法=ルールに服さなければならないという法の支配を前提とするからなのです。