サトウキビは「本土のコメ」の役割を期待された

1965年の特別措置法に話を戻す。

原料糖の輸入枠は沖縄産の購入実績に応じて決まることになり、製糖会社が沖縄産の原料糖を買う意欲を高めた。

沖縄の農家の農業所得を、広範囲に手っ取り早く引き上げるには、サトウキビ作・糖業の保護を強化することがもっとも効果があると考えられたと、新井さんは指摘する。

日本の農政はコメについて、価格を高止まりさせることで農家の所得を保障してきた。それと同じ手法を、復帰後の沖縄のサトウキビにも適用する。

「復帰直後、実質的にはキューバ危機などで世界的にサトウキビブームが起きたころの水準まで政策的にサトウキビの価格が引き上げられました。その後据え置かれましたが。とはいえ、復帰直後の伸びは、当時物価が上昇していた影響を差し引いても、極めて大きいものでした」

生産者価格が復帰直後の1972年産でトン7000円だったのが、74年産は1万5000円まで引き上げられた。新井さんはこの時期を「第二次サトウキビブーム」と呼ぶ。当時、「沖縄のサトウキビに期待されたのは、本土におけるコメの役割」(新井さん)だった。

サトウキビの価格は「グレー」

サトウキビとコメは同じイネ科に属する。両者には類似点が多いと新井さんは話す。

「非常に近いですよね。ある時期まで10アールから上がる農業所得もほぼ一緒でしたし」

これら2つの作物では、生産者が多いぶん、国が価格を高く保つよう支持する「価格支持政策」を行えば、農家所得を引き上げることができた。

「世界的に価格支持政策ができなくなる中で、サトウキビの価格っていうのは非常にグレーなんですよね。稲作ではもうできなくなったようなことをいまだに続けているわけですから。『構造改善』をしているとアピールしないといけない」(新井さん)

構造改善とは、農業経営の規模が零細な日本の農業構造を農家の経営規模を広げて、改善することを言う。ところが現実には、サトウキビは構造改善と遠い結末に至ろうとしているようだ。それをあらわにしたのが、冒頭で示した農林業センサスの最新版だった。