関ヶ原以上の緊迫した心理ドラマ
一方、清須に留まって家康を待っていた豊臣系の諸将からは、出馬する気配がない家康への疑問の声が上がっていた。家康は一か八かだったのだろう、村越直吉を使者として清須に送り、諸将が動かないから自分も動かないのだ、という人を食ったような口上を伝えた。それに発奮した福島正則以下の諸将は8月18日、岐阜城を攻めに出発し、木曽川を渡ると23日に岐阜城を攻撃し、その日のうちに陥落してしまった。
この知らせを江戸で受け取って、家康はようやく西上を決意。9月1日に江戸を発っている。福島以下諸将の動きの速さは家康の想定を超えており、このまま家康を抜きに決戦が行われれば、その後の政局で家康が出る幕はなくなってしまう。それを恐れた家康は東海道を急行し、11日には清須に着いた。その4日後の決戦の行方は、周知のとおりである。
ここに至るまでの状況の変転には、変化の時代の緊迫した情勢下ならではの歴史のダイナミズムがある。そこにはある意味で、関ヶ原における決戦以上に緊迫した心理のドラマがある。2023年のNHK大河ドラマのタイトルが「どうする家康」であるなら、ここにおける家康の煩悶にこそ、全48回中の最大の焦点を当ててもよかったのではないだろうか。
NHKのBS番組では描かれていたのに
関ケ原の戦いについて、こうした詳細がわかってきたのは近年のことなので、これまでのドラマでは、小山評定における情報のタイムラグは描かれなかった。しかし、最新のドラマが、わかったことをスルーしているのは残念である。
NHKのBSプレミアムで今年2月4日に放送された「決戦! 関ケ原II」では、このタイムラグに焦点が当てられていたのに、肝心のドラマでは無視。脚本家の不勉強は予算を投じての見事な映像や俳優たちの努力にも、大きく水を差してしまう。