繰り返される佐竹知事の「問題発言」
「硬い。値段は(一般の鶏肉の)3倍だが3倍うまいかは分からない」
秋田県の名産品・比内地鶏を評した、2022年8月26日の佐竹知事の発言である(*5)。
肉が「硬い」としても、あるいは、3倍も美味しくなかったとしても、それは、個人の感想として、まだ許されるかもしれない。
ただ、これが、豪雨で被害を受けた人たちに向けたものだとしたら、どうだろうか? それも、豪雨対策と復興の責任者である県知事の発言としては、いかがなものか?
まったく認められない。
ほかにも、「秋田の人口減の原因はコメだ。コメのウエートが大きいほど人口減は著しい」(2014年5月12日)と言い放ったり、地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の配備計画をめぐって「私に配備の是非の判断を投げられても困る」と放棄したり、と、枚挙にいとまがない。
実際、秋田魁新報は、今回の「貧乏くさい」発言を含めて16もの「物議を醸した佐竹知事の主な発言」を列挙している。
うっかりしていた、わけでもないだろうし、言い間違えた、とも思われない。
信念とまでは評価できないが、少なくとも、自分の言葉で話しており、だからこそ、言葉をなりわいとする政治家として彼は不適格なのではないか、と疑わせるのである。
佐竹知事だけではない。
ほかの地方自治体の長による「失言」も相次いでいる。
東近江市長「不登校の大半は親の責任だ」
滋賀県東近江市の小椋正清市長は、10月17日、同県で開かれた、滋賀県首長会議で、「不登校の大半は親の責任だ」などと発言した(*6)。
問題視されたのは、「文部科学省がフリースクールの存在を認めてしまったということに、愕然としている」という部分であり、同県をはじめとする全国のフリースクール関係者から撤回を求められている(*7)。
小椋市長は、この理由について「フリースクールといって、よかれと思ってやることが、国家の根幹を崩してしまうことになりかねないくらいの危機感を持っている」と述べていた(*8)。
彼の持つ「危機感」は、秋田県の佐竹知事にも通じるのではないか。
関係者ばかりか、市議会で追及されたとしても、いや、されればされるほど、みずからの考えを堂々と主張する。小椋市長もまた佐竹知事と同じように「謝罪」はしている。ただし「撤回」には、頑として応じていない。
政治家としての考えは重要であるし、それがなければ資格がない。その考えが、世論を逆なでしたり、SNSで炎上したりしたとしても、有権者から選ばれている以上、簡単に引っ込めてはならない、そうした態度は、十分にありえるだろう。
だとすれば、彼ら地方自治体の長による「放言」や「失言」を、一過性の話題として消費して終わりにしてはならないのではないか。
そうした発言が相次いで報じられている、その現状を再考しなければならない。