評価よりもメッセージを伝える方が大事

バンクシーは2023年9月現在もいまだに正体不明の覆面作家なので、彼の生い立ちについては不明ですが、彼は社会的なメッセージを発して有名になる前から、イギリスのグラフィティ・アーティストとして名が知られていました。それは、「ステンシル」という技法を使っていたことにあります。

ステンシルは、先ほどもご紹介したように、絵の形にくり抜いた型紙を用意してそれを壁に貼り、スプレーを吹き付けることによって短時間でクオリティの高い絵を作ることができる技法です。グラフィティは犯罪なので、警察や建物の住民に見つからないように素早く描く必要がありました。素早く時間をかけずに描くのでクオリティの高い絵を描くのは難しく、見つかれば落書きとしてすぐに消されていたのです。そこでバンクシーは、短時間でクオリティの高い絵を残すためにステンシルの技法をとったと言われています。ステンシルを使った彼の落書きはクオリティが高いものでした。アパートに描かれた彼の落書きがあまりによくできていたので、住民投票で残すことが決まったことがあったくらいでした。

ですが、当時グラフィティの世界ではステンシルを使うことは御法度でした。「グラフィティはフリーハンドで描くもので、ステンシルで描くのはダサい!」とされていたのです。

ステンシルを使うことでグラフィティ界からのけ者にされることすらありました。ステンシルを使い始めたバンクシーはグラフィティの世界からは無視されるようになりますが、メッセージ性の強い作品で世の中からの注目を集めるようになります。バンクシーは当時のグラフィティ界からの評価をあまり気にしていなかったようで、それよりも自分のメッセージを伝えることを優先したのでした。

なぜパレスチナに作品が多いのか

彼のイメージを決定づけた作品は、パレスチナの分離壁に描かれたグラフィティのシリーズでした。有名な「花束を投げる男」シリーズ(2003年~)は、手榴弾の代わりに花束を投げるテロリストを描き、平和を訴えるものです。

バンクシーの「花束を投げる人」(ヨルダン川西岸ベツレヘム)=2015年12月16日
写真=AFP/時事通信フォト
バンクシーの「花束を投げる人」(ヨルダン川西岸ベツレヘム)=2015年12月16日

この作品が描かれている分離壁は、対立を続けるイスラエルとパレスチナとの間に作られた巨大なコンクリート壁です。冷戦時代のベルリンの壁のように、両者の断絶の象徴となっています。壁を作り始めたのはイスラエル側でしたが、パレスチナの領土に食い込む形で建設したため領土の侵攻として火種となりました。国際法にも違反していると国連からも非難されていますが、イスラエルは今も壁の建設を続けています。

バンクシーはイスラエルの武力行使によるパレスチナ分離壁の問題に憤り、広く世に知らせるべきだと考えました。当時は世界的にはこの問題にあまり関心が持たれていなかったのです。彼はパレスチナを訪れて、分離壁や街の壁にグラフィティを描きます。彼のグラフィティのほとんどはパレスチナにあると言われているくらい、彼は多くの作品を残しました。