肩書ではなく、その人自身を愛していたのではないか
一説によると、彼女は並々ならぬほめ上手だったといいます。
これはあくまで私の想像ですが、エドワード8世はウォリス・シンプソンのほめ言葉によって、初めてひとりの人間として認められたと感じたのではないでしょうか。
国王に即位してからはもちろんのこと、国王になる以前から王位継承権第1位という身分で生まれた彼に対し、家族を含め周囲の人は当然、「(将来の)国王」として接したはずです。
しかし国王である前に彼もひとりの人間であるはずで、ウォリス・シンプソンはそこをきちんと見ていたのではないか、冠や肩書きなど身にまとっているものではなく、エドワード8世その人自身を愛したのではないか、と思うのです。そしてそこから紡ぎ出されたほめ言葉が彼の心を射止めたのではないでしょうか。
ウォリス・シンプソンの例は少し極端ですが、私たちも自分のことをほめてくれる人を悪くは思いませんね。むしろ好感を抱きます。
ではどうして、人はだれかにほめられると、その人に好感を抱くようになるのでしょうか。
それは、もともと人の脳がだれかにほめられたり、評価されたりするという社会的報酬を好むからなのです。
もし独裁者だったら、目の前の1万円をどう分ける?
このことを証明する「独裁者ゲーム」という実験があります。
この実験では、ふたりでひと組になってもらい、ふたりのうちどちらかひとりを独裁者と決めます。そして独裁者に1万円を渡し、「この1万円を相手の方と分け合って持って帰ってください。どのように分けるかはあなたがひとりで決めてください。取り分がいくらになっても、相手には変更を希望する権利も断る権利もありません」と告げるのです。
さて、もしあなたが独裁者だったら、1万円をどのように分けますか。
実験結果では、おおかたの人が「5対5」に近い割合で1万円を分けました。ひとり5000円ずつ、もしくは自分が6000円で相手は4000円、あるいは自分は4000円で相手が6000円というぐあいで、自分ばかりが大いに得をするという分け方をした人はほとんどいませんでした。
おおかたの人は、より多くのお金を受け取ることよりも「あの人はケチではない」「あの人は善良な人だな」などの評価を得ることを、要は金銭的報酬より社会的報酬を選んだのです。
つまり、他人を素直にほめられる人というのは、その相手に社会的報酬を与えているわけで、当然、その相手から好かれるようになります。
ですから、どんどん他人をほめましょう。心の中で「すばらしい」「すごい」などと思ったことは素直に口に出して伝えましょう。心の中で思っているだけではだめで、直接言葉で伝えることが重要です。