いのちの値段をあえて計算してみると…

いのちの値段など本来はない。しかし、死亡交通事故の補償額などは平均余命かける毎年の所得で計算されたりする。そこで、仮に、ここで使った1人当たりGDP額と平均寿命をかけあわせた額をいのちの値段として計算し、その結果を図表3に掲げた。

【図表】いのちの値段には大きな差

これで見ると、最高額はアラブ首長国連邦の583万ドル(1ドル145円で計算すると8兆5000億円、以下同様)となり、最低額はナイジェリアの28万ドル(4000万円)となり、その差は21倍にものぼる。

米国は、寿命は先進国の中でも短いが所得水準が高いので、いのちの値段は513万ドル(7兆4000億円)とアラブ首長国連邦に次いで高い。日本は367万ドル(5兆3000億円)とそこそこである。

ちなみに、人身取引や臓器売買はいのちの値段の低い地域で起こりやすい。また、現在、いのちのやりとりをしているロシア(208万ドル)とウクライナ(97万ドル)はどちらも比較的いのちの値段が安くなっている。とはいえ、両国の戦争で多くの人命が失われている、その総額は莫大なものになる。

お金で幸せが買えるというより、不幸せの除去ができる

豊かさと幸福度が比例するか、言い換えれば、幸せをお金で買えるかについて多くが論じられている。自由市場経済を万能とは認めない人々は両者の不一致を示す事実に着目する傾向がある。このため「イースタリンの逆説」が引き合いに出されることが多い。

1970年代、米国の経済学者のイースタリンが「第2次世界大戦後に急速な経済発展を遂げた日本における生活に対する満足度は、低下している」という調査結果を基に「経済成長だけでは国民の幸せは量れない」という「イースタリンの逆説」を提唱した。所得水準と生活満足度はある時点の一国内ではゆるく相関しているが、時間を超えた2時点や地域を越えた2地点ではほとんど相関がないとするものである。