真っ黒な筋骨隆々のケモノが一直線に駆けてくる
2012年の2月、共同研究者の山﨑晃司さん(現・東京農業大学教授)や学生とともに奥多摩へ向かった。
あらかじめGPS首輪を付けていたクマの冬眠穴に入って、麻酔をかけて首輪を回収することにしたのである。
山に入ると、ちょうどターゲットのツキノワグマが、木の根の間に頭を突っ込んで、「頭隠して尻隠さず」のポーズで寝ていた。
そのクマを前に、興奮のあまり、
「これ、イケるぞ!」
「いっちゃうか」
なんてしゃべっていたのがいけなかったのだろうか。あろうことかクマは目を覚まし、クルっと振り返った。次の瞬間、真っ黒な筋骨隆々のケモノはダーッとすごい勢いでこちらに向かってきたのだった。
撃退スプレーを使わなければ顔面をえぐられていた
一緒にいた学生の1人は腰を抜かして動けなくなり、ほかの2人は一目散に走って逃げ出す。クマは山﨑さんとちょうど至近距離で向き合う形となった。これはまずい。
命が危ない!
私はとっさに持っていたクマ撃退用スプレーをクマの顔にかけた。山中に入るとき、万が一クマに遭遇した場合の備えとして、クマ撃退用スプレーは必携アイテムだ。スプレーにはトウガラシの粉が大量に含まれている。クマは悶絶して斜面を転げ落ち、逃げていった。
このときクマ撃退用スプレーはクマだけでなく、山﨑さんの顔にもかかった。
トウガラシまみれのスプレーが目に入るのだ。人間にとっても悶絶ものである。
山﨑さんいわく、「特上のすりわさびに激痛というおまけを付けて、のどや目に放り込まれた感じ」だったという。
しばらくは息が詰まり、目も開けられず、頭や顔の皮膚にしみこんだ唐辛子成分もじくじくと傷んで、散々な思いをしたようだ。
山﨑さんには申し訳ないことをしたと思っている。それでも、もしスプレーをかけていなかったら、きっと顔面をクマの鋭い爪にえぐられ、山﨑さんの命はなかっただろう。迷っている暇も選択の余地もなかった。