20歳の時に輸血拒否で母は逝った

排斥されたことで、他の信者との会話は禁じられた。家族も例外ではなく、母親と口を利くこともほとんどなくなった。

しかしそれは、結果としてよかったのかもしれないと関口さんは振り返る。

「エホバの世界より、外の世界の方が魅力的だったし毎日が楽しいことだらけだった。憂鬱ゆううつな週3回の集会ももう出なくていい。でもそんな夢のような日々は短期間で終わっていくんですけどね。当然のことだけど、世の中に出たなりの苦悩を知って、結局、人の苦悩の絶対量は大して変わらないような気がすると思うようになりました。ただ、そんな時に出合ったのが、エレキギターだった。衝撃でした。教団にいる時には考えられないことですから」

20歳の時に母親が病気で亡くなってしまう。がんだったが、母親はエホバの教えに則って最後まで輸血を拒否し、衰弱していった。

「母は自分の意思が強くて、輸血を拒んでいたので、それはそれで立派な人だったと思うし、自分の意思で、死をも恐れず、信仰を選んだわけだから、尊敬に値すべきことだと思うんです。でも、子供とか、まだ判断力のない人間に、親がそんなことするのはいかがなものかというのはあります」

血液バッグ
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中学卒業後のアルバイトで「世間の価値観」を知った

排斥から20歳で母親を亡くすまでの3年間、関口さんは、宗教とは違う世界で過ごした。結果的にそれがエホバの証人の世界観と決別することにつながった。

「アルバイトを始めたんです。中学を卒業して、別に高校には行かなくていいと親に言われて、進学を諦めたんです。家も財政的に苦しくなってきたんで、親にも頼れなくなってきて。喫茶店のウエーターやビルの清掃をやりました。それで世間の人たちとの付き合いがだんだん深くなっていたんです。それまでは付き合っちゃいけませんと言われている人たちです。すると世間一般の考え方と、教団の中の考え方とのギャップのすごさにだんだんあぜんとしてきて、いわゆる今まで常識と思っていたことが、世間一般の大多数の人からすると、とても非常識なことだったんだってことに、気がつくわけです」

宗教とは、本来、世俗とは相いれないものである。それが行き着くところまでいくとオウム真理教のようになる。宗教は人を救うし、人を殺す。それを認識しておかなければ僕らは道を間違う。