武家社会において妻は夫に黙って従ったと思われがちだが、夫に忖度しなかった女性もいた。歴史学者の北川智子さんは「秀吉の正室ねねは、秀吉の無謀な朝鮮出兵に強く反対し、義理の息子に当たる天皇に勅旨を出してもらうということまでした。側室の茶々が秀頼を産み、秀吉晩年の夫婦関係には溝ができたが、それでも、ねねの地位は不変だった」という――。

※本稿は、北川智子『日本史を動かした女性たち』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

社会的地位や収入を得たねねにも苦難の時が訪れる

「人生山あり谷あり」という諺がありますが、ねねの人生にも、苦難が重なる時期があります。最高の官位を持っていても、北政所という立場があっても、それでも人生全てがうまくいくわけではありませんでした。