その「好き」は消費者としてか、生産者としてか

たとえば、ファッション。

「ファッションが好き」と一括りに言ったとしても、そこには相当なグラデーションがあります。着るのが好き、見るのが好き、集めるのが好き。いろいろな「好き」があります。

ただ、そのなかでも大きな違いがあるのは、

「消費者としての好き」なのか?
「生産者としての好き」なのか?

ということです。この2つは、決定的に違います。このどちらなのかを考えるときに役に立つのが、「作るほど好きか?」という質問だということです。

高橋さんがそう聞くと、大体の学生さんは、「いえ……まだ作っていないです」となる。ということは、どういうことか?

高橋さんは、本人にとっては厳しいけれど真実を伝える、と言います。つまり、「ってことは、好きなものがまだ見つかってないってことじゃない?」。

言い換えれば、まだ「消費者としての好き」のレベルで止まっているということ。そして、作るほど好き、というレベルでないと、仕事としてはなかなか続かないということでもあります。

資本主義の歯車から抜け出すためには

これは僕にも納得感がありました。

たとえば、本。本好きな人は多いですが、「読むのが好き」と、「作るのが好き」は全然違います。料理もそうですよね。「食べるのが好き」と、「作るほど好き」では、差があると思います。

読書をしながら横たわる学生
写真=iStock.com/ArtistGNDphotography
※写真はイメージです

僕は普段から資本主義社会の歯車から抜け出すには2つの方法しかない、と言っています。それは1つが「資産家・投資家側」になること。もう1つが「生産する娯楽を見つける」ことです。そして高橋さんの話は、このうち2つ目の「生産する娯楽」に似ている話だと思います。

生産する娯楽とは、「自分にとっては娯楽だけど、社会にとっては生産」という状態になっているもの。娯楽は、自分にとってはHP(ヒットポイント、体力)の消費がとても少ない。だから、これを育てていけば、いつかは損益分岐点を超える。

これが高橋さんの「作るほど好きか?」という話に近いと思ったのです。

それは、「消費する娯楽なのか?」。それとも、「生産する娯楽なのか?」。これを考えなさい、ということなのかなと思います。

「作るほど好きか?」という視点で、自分の「好き」という気持ちや思いを見直してみましょう。

そして、もしまだ「Yes」ではなかったとしたら、もっと好きなものが見つかるチャンスがあるのかもしれませんね。