徳川家康の家臣・石川数正は、なぜ豊臣秀吉のもとに出奔したのか。歴史評論家の香原斗志さんは「家康の忠臣と言える武将だったが、政争に敗れた後は、いつ殺されてもおかしくない立場だった。徳川家ではなく自分の命を守るための出奔だった」という――。
本当に家康と徳川家を守るために出奔したのか
「老体にムチ打って大暴れしましょう。私はどこまでも殿と一緒でござる。羽柴秀吉なにするものぞ。われらが国を守り抜き、われらが殿を天下人にいたしまする。殿、決してお忘れあるな。私はどこまでも殿と一緒でござる」
家康(松本潤)が駿府の今川義元(野村萬斎)のもとにいたころからの忠臣で、徳川家臣団の要であり続けてきた石川数正(松重豊)は、家康にこういったのち、秀吉(ムロツヨシ)のもとに出奔した。NHK大河ドラマ「どうする家康」の第33回「裏切り者」(8月27日放送)での話である。
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