リーグ戦に積極的に参加する理由
慶應高の森林貴彦監督は、単に神奈川県のLiga Agresivaに参加しているだけではない。考えを同じくする指導者たちとともにリーグ戦やスポーツマンシップを学ぶことの意義を訴え、参加校を増やしていった。
そして日吉台の慶應高グラウンドをリーグ戦の会場として積極的に提供した。参加校の多くは公立校だが、こうした学校の指導者からは「慶應さんと試合ができるのは光栄だ」という声も聞かれた。しかし重要なのは試合をすることではなく、試合を通じて学ぶことだ。
森林監督は「リーグをもちろん広げていきたいが、『誰でもどうぞ』にはしたくない。リーグ戦の意義、理念を共有してほしい。Ligaに参加した部員たちは積極性、主体性、チャレンジ精神を伸ばすことができる。リーグ戦参加を通じて、部員たちの野球への愛情が高まり、スポーツマンシップを身に付け、野球界のみならず社会全般について、現状を受け入れるだけでなく、改革していく志を持つ人間になっていくことを期待している」と語った。
他の学校と決定的に違う「推薦制度」
慶應高は、1915年、夏の甲子園の前身である「第1回全国中等学校優勝大会」から参加している。2年目の1916年には大阪の市岡中を破って全国優勝を果たしている。名門中の名門だ。以後、1960年代までは強豪私学の一角だったが、神奈川県内に新興私学が台頭するとともに甲子園から姿を消した。
どんなに優秀な選手であっても、私学最難関レベルと言われる入試を受からなければ慶應の門をくぐることはできない。慶應はその姿勢を頑なに守った。このために慶應高は、1970年代には「かつての強豪校」の一つになり、この時期には初戦で敗退することも珍しくなくなった。
こうした状況を打開したのが、1990年代に導入された「推薦制度」だ。
「勉強ができる子ばかりが集まって、慶應の生徒は画一的で面白みがなくなった」というOBなどからの批判もあり、勉強だけでなくさまざまな技芸に秀でた中学生を受け入れるために導入された制度だ。学力試験は行わず、書類審査と面接・作文で合否を判定する。
これによって野球だけでなく、他のスポーツやピアノ、バイオリン、アートなど資質に恵まれた多様な若者が慶應高の門をたたくようになった。40人の推薦枠の内、野球選手は10人程度だ。
しかし推薦枠には「9科目5段階評価、45点満点で38点以上」の内申点が必要だ。つまり一芸に秀でているだけでなく、学校の成績もトップクラスであることが求められるのだ。