日本が健全な国家運営を続けるには、毎年100万人規模の外国人材を受け入れる必要がある。しかし、今から動き始めても、もはや手遅れだ。海外から人を呼び込んで、働き手として定着させるには、少なくても20年かかる。

わかりやすいのはドイツだ。1960年代、トルコからドイツに大量のガストアルバイター(出稼ぎ外国人労働者)が流れ込んだ。ガストアルバイターの流入が続いた結果、現在もドイツの人口の4%程度をトルコ人が占めている。

ドイツ国内でさまざまなトラブル

トルコ移民の第1世代は、ドイツの経済を下支えした。しかしその一方で、貧困や文化的ギャップから、ドイツ国内でさまざまなトラブルを起こした。移民たちは1カ所に固まって住み、犯罪が多発し、町の一部はスラム化した。

ただし、トルコ移民の第1世代が偉かったのはそこからだ。彼らは自分たちの子ども(第2世代)に貧困や差別を味わわせたくなかった。だから、子どもたちを勉学に励ませた。その結果、第2世代の中からは精神的に強い、知識やスキルに秀でた人材が育ったのだ。

そして今日に至るまで、第2世代やその子どもの第3世代は、ドイツ経済の核を担う存在だ。たとえば、新型コロナワクチンを早期に開発し、ファイザーを通じて世界中に供給したビオンテック社の共同創業者、オズレム・テュレジ氏はトルコ系移民の2世だ。

移民の受け入れを始めてから、第2世代が大人に育つまで、少なくとも20年。第3世代では40年はかかる。

私はそれを見越して、93年の『新・大前研一レポート』(講談社)で移民の積極的な受け入れを提言した。それから30年の月日が経ったが、今から100万人の外国人材を受け入れるといっても、すでに遅いのである。

ドイツで移民が労働力として定着したのは、政策の影響も大きい。ドイツにやってきた移民は、ドイツ語や社会慣習についての教育を2年間、公的費用で受けられるのだ。

移民の受け入れに積極的で、ドイツ人化政策にもお金をつぎ込んできたドイツと違い、これまで日本政府は何もしてこなかった。

業界の強い要望で、移民の門戸を開いたことはある。自動車や建設業界が人手不足に陥って大騒ぎしたときは、日系人に限って門戸を開いた。ブラジルからは日系3世が大勢やってきたが、景気が悪くなると企業は一転して雇い止めし、せっかく来た人たちが帰国した。また、日本に残った人に対する政府のサポートもなく、貧困を生んだ。

政府は19年に、特定技能制度を創設した。建設や農業など特定の12業種に限り、日本語能力試験や技能試験に受かった外国人に対し、単純労働に従事可能な在留資格を与えるものだ。12業種の中には介護も入っている。