政府が国会に検討を委ている3つのプラン

では現在、国会の検討に委ねられている方策は、具体的にどのような内容なのか。そっけなく言えば、目先だけの皇族数を確保して、現状を糊塗ことしようとするプランというしかない。

① 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持する。
② 皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする。
③ 皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とする。

これらのうち、③は論外だろう。昨日まで国民だった人物が、皇室との婚姻関係も養子縁組もなく、法的な措置だけで明日から皇族になるという乱暴なプランだ。国民にはとても受け入れられないのではないか。

たとえば、皇居で行われる新年一般参賀の際に、宮殿のベランダに並ぶ他の皇室の方々とは少し離れて、見慣れない人物が端っこにポツンと一人だけ立って、参賀に来た国民に向かって手を振っている、という光景はにわかに想像しがたいだろう。

報告書自体も「国民の理解と支持の観点からは、②の方策に比べ、より困難な面があるのではないか」と述べている。

選挙への出馬も可能になってしまう

しかし、①②も③に劣らず、制度として整合性もリアリティーも欠けている。

①の場合、内親王・女王の配偶者とお子様について、「皇族という特別の身分を有せず、一般国民としての権利・義務を保持し続ける」という。何とも呆れたプランというほかない。

社会通念上、内親王・女王と一体と見られがちな配偶者やお子様に対して、憲法(第3章)が国民に保障する自由や権利が全面的に認められるならば、たとえば政治活動の自由はどうか。当然、その自由は最大限尊重されるはずだ。

特定の政党を全力で応援する。その政党から国政選挙に打って出る。政党の幹部や国会議員になる。すべて法的に可能だ。その政党が与党なら、閣僚や首相になる可能性だって排除できない。

相手が「一般国民」ならば、皇室というブランドを利用しようとして政党の側から積極的にアプローチするケースも、普通に予想できる。

それで果たして、憲法が国政権能を否定し(第4条)、「国民統合の象徴」にふさわしく振る舞われること(第1条)を要請している天皇(皇室)のお立場と齟齬そごしないのか、どうか。常識的に考えて、両立は不可能ではないか。

宗教活動参加の可能性も

他に宗教活動や経済活動の自由はどうか。この場合も、宗教団体や企業側からのアプローチも、もちろん想定しておく必要がある。

過去には、旧宮家の当主だった東久邇ひがしくに稔彦なるひこ氏が「ひがしくに教」という新宗教を開こうとして、頓挫した経緯もあった(昭和25年[1950年])。

一言でいうと、憲法第1章(天皇)が優先的に適用される皇族と同第3章(国民の権利及び義務)が全面的に適用される国民が“一つの世帯”を営むという、歴史上まったく前例を見ないだけでなく、憲法の仕組みそのものを根底から揺るがしかねないプランになっている。