「洋装で即位礼を行えば安く済む」

令和元(2019)年秋に挙行された「即位礼正殿の儀」を振り返ろう。いまや戴冠式はヨーロッパにおいてはイギリスにしかないと先に述べたが、さらに踏み込むと、伝統的かつ大規模な即位儀礼が保たれている君主制国家は、先進国では英国と日本の2カ国だけなのだ。

令和時代の日本国民は巨費が投じられたと知りながらも好意的だったが、あのような大掛かりな即位礼をわが国はいつまでも続けられるのだろうか。即位儀礼が簡素化された欧州を見ると、どうしても不安を覚えてしまう。

2019年10月22日、皇居にて、即位礼正殿の儀に臨む天皇陛下(左)と皇后陛下(右)
写真=AFP/時事通信フォト
2019年10月22日、皇居にて、即位礼正殿の儀に臨む天皇陛下(左)と皇后陛下(右)

思い出されるのが、昭和49(1974)年から約27年間にわたり侍従などとして宮仕えした小林忍氏が、平成の即位礼正殿の儀についてこう日記に書いていることだ。

「諸役は古風ないでたち、両陛下も同様、高御座、御帳台も同様。それに対し、松の間に候する者のうち三権の長のみは燕尾服・勲章という現代の服装。宮殿全体は現代調。全くちぐはぐな舞台装置の中で演ぜられた古風な式典。参列者は日本伝統文化の粋とたたえる人もいたが、新憲法の下、松の間のまゝ全員燕尾服、ローブデコルテで行えばすむこと。数十億円の費用をかけることもなくて終る。新憲法下初めてのことだけに今後の先例になることを恐れる」――小林忍・共同通信取材班『昭和天皇 最後の侍従日記』(文春新書、2019年)274ページ。

小林氏はどうやら「剣璽等承継けんじとうしょうけいの儀」や「即位後朝見の儀」のような洋装の式典を希望していたらしい。筆者はこの記述を初めて目にした時、旧登極令の附式からあまりにかけ離れたアイデアにひどく困惑してしまったことを記憶している。

秋篠宮さまも「身の丈にあった儀式で」とご発言

もう一つ思い出されるのが、秋篠宮殿下が平成30(2018)年秋に、一世一代の宮中祭祀「大嘗祭」についてこう問題提起されたことだ。

「大嘗祭自体は私は絶対にすべきものだと思います。ただ、そのできる範囲で、言ってみれば身の丈にあった儀式にすれば」

朝日新聞によれば、秋篠宮殿下は宮内庁長官に「大嘗宮を建てず、宮中にある神嘉殿で執り行っても儀式の心が薄れることはないだろう」と仰せになったという。伝えられるところでは、昭和天皇の次弟・高松宮宣仁親王も同様に「神嘉殿でやればいいじゃないか」とお考えになっていたらしい。

皇室や宮内庁職員――その立場上、欧州君主制についてもある程度の見識を有するとみなすべきだろう――からこのように大嘗宮不要論や洋装即位礼のアイデアが出てくる理由だが、即位儀礼が簡素化されたヨーロッパの影響を強く受けてのものとは考えられないだろうか。

伝統主義者の間には、日本国憲法の制定により即位礼・大嘗祭にさまざまな変更が加えられたこと――たとえば政教分離への配慮のために即位礼の神話的要素が薄められた点――に対する不満がある。

しかし、帝王を聖別するというキリスト教の宗教儀式の場でもあったはずの戴冠式を放棄したヨーロッパに比べれば、わが国の変化は大したものではない。いくらかの変更点があるにせよ、少なくとも規模的に縮小されたとは言いがたいのだ。