秘書官を辞任しても翔太郎氏への批判は止まない
岸田文雄首相の長男・翔太郎氏は、6月1日付で内閣総理大臣秘書官を辞任した。
5月25日発売の「週刊文春」で、昨年末に首相公邸で行った「忘年会」の写真が報じられたからであり、岸田首相は、記者団にたいして「公邸の公的なスペースにおける昨年の行動が、公的立場にある政務秘書官として不適切。けじめをつけるため交代させることといたしました」と述べた。
すでに過去のものとなったはずなのに、いまだに翔太郎氏への批判が止まない背景には「世襲」が問題だとする世論がある。
岸田親子は「バカ息子」か「親バカ」か
「バカ息子」と翔太郎氏を非難したり、「親バカ」と岸田首相を批判したり、世間の声は発覚から3週間が過ぎたいまもなお厳しい。
翔太郎氏の辞任は、解散・総選挙を視野に入れた、実質的な更迭と見られており、支持率低下の要因をできるだけ早く切り捨てたかたちである。
首相や翔太郎氏の「公的なスペース」をめぐる認識が甘かった、との反発だけではない。
それ以上に、首相が長男を秘書官に任命していたのは「世襲」のためだったのではないか、とする反感が渦巻いている。
そもそも政治家の「世襲」とは何か
たしかに、これまでも総理大臣は、みずからの親族、というか、「息子」を秘書官に据え、将来の「世襲」に備えてきた。
故・安倍晋三氏の父・晋太郎氏は義父の岸信介首相に仕えたし、福田康夫氏は首相時代に長男の達夫氏を起用している。
総理秘書官に限らなければ、安倍晋三氏は父の外務大臣時代に秘書官として、岸田首相みずからもまた父・文武氏の議員秘書として、それぞれ働いている。
地盤(後援会)、看板(知名度)、さらにはカバン(資金)、と言われる3つの「バン」を引き継がせる上で、さらに箔をつけ、永田町(政界)や霞が関(官界)での人脈を広げるために、秘書にする。
何重にも高い下駄を履かせれば、選挙には大きく有利になる。これが「世襲」だと言われているのだろう。