上手に休むためにはどうすればいいのか。作家のソン・ヒムチャンさんは「余計な先入観を捨てることだ。休むことに罪悪感を持ってしまう人は、自分自身に必要なことを分かっていない。これでは心が消耗してかえって疲れてしまう」という――。

※本稿は、ソン・ヒムチャン『今日はこのぐらいにして休みます』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。

夜にオフィスでラップトップで作業している間にストレスを感じている若いビジネスウーマンのショット
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欲望の多くは他者から押し付けられたもの

誰にでも欲望がある。

欲望は、私たちがなにかに一生懸命取り組むための原動力になり、退屈な日常のくり返しにすぎない人生に生きる意味を与えてくれたりもする。

自分自身が切実に望むことを追求するとき、人生はより豊かになりうる。

しかし、私たちの欲望の多くは、社会や他者から学習したものだ。幼いころから耳にたこができるほど聞かされてきた、親の言うことをよく聞きなさいとか、友達と仲良く過ごしなさいというような規範がそれだ。

さらに、大人になったら安定した職に就き、生活が安定したら結婚して子どもをもうけるべきだという考えに、私たちはとり込まれる。

他人と自分の見た目を絶えず比較し、ふつうとみなされる範囲から外れると自分を責めて苦しむ。

また、芸能人やインフルエンサーのような羨望の対象のようになりたいと思う。社会的な基準に合致する人のことは肯定的にとらえ、そうでない人のことは軽んじる。

「自分が本当に望んでいること」を考える

このような現象が間違っていると言いたいわけではない。

問題は、他人から押しつけられたもので自分を満たしていると、自分自身の姿はしだいになくなっていき、ついには消えてしまうということだ。

場合によっては、自分が本当に望んでいることがなんなのかも知らないまま、表面上だけ幸せなふりをする人になりかねない。そうやって何年も、何十年も生きていると、後悔するのはほかならぬ自分自身だ。

他人の欲望を受け入れてもかまわない。

でも同時に、自分が本当になにを望んでいるかを考える力を育てよう。人生の主導権を他人に与えるのと、自分自身が自分の人生の主人になるのには違いがある。

自分がつねに世の中という舞台の主役であるわけにはいかない。しかし、自分が望むことを探し、それに意味を感じながら生きていけば、誰もがきっと、自分の人生の主役になれるはずだ。