関東大震災マグニチュード7.9に根拠はなかった
――関東大震災に着目したきっかけを教えてください。
もともと私は東北大学で地球物理学を専攻していました。その後、入社した鹿島建設で、建築設計に取り入れるために地震の揺れを予測する仕組みの開発などにたずさわっていました。ただ正直に言えば、物足りなさを感じていました。理学畑を歩んできたせいか、物事の本質を突き詰めていくような仕事をしたかったからです。
そんな私が関東大震災を研究するきっかけが、1992年12月。岐阜測候所(現在の岐阜地方気象台)で関東大震災の記録が残っていないか探し、発見したことです。
1923年9月1日に発生した関東大震災は、首都圏を中心に約10万5000人もの死者・行方不明を出しました。経済的な被害は、当時の金額で約55億円、現在の貨幣価値では約30兆円です。これは当時の日本のGDPの36.7%。国家存亡の危機だったのです。
私が研究をはじめた当時から都内の高層ビルを建てる上で、関東大震災の揺れや震源を知ることが重視されはじめました。その頃から、関東大震災を起こした関東地震の規模はマグニチュード7.9と言われてきましたが、この値が正しいか誰も根拠を示せなかった。私にとって、それがすごく気持ち悪かった。
「記録がないからわからない」と言われてきたが…
明らかになっていなかったのはマグニチュードだけではありません。関東地震の発生のメカニズムも、震源も、なぜ東京でもっとも大きな被害が出たのかも……正確に分かっていなかった。
たとえば、余震の数。一般的にマグニチュード8クラスの地震発生直後には、かなりの回数の余震が起きると考えられています。関東大震災当時は、煤を塗った紙を巻き付けたドラムを回転させながら振り子に連動させたペンで引っ掻いて揺れを記録する地震計を使っていました。しかしあまりの揺れの大きさに地震計の振り子やペンが振り切れたせいで、国内に満足な揺れの記録が残っていないと言われていました。
30年前、私は、岐阜測候所の観測室で、山積みになった段ボール箱に収められた気象紙を一枚一枚見ていきました。なんとそのなかに、1923年9月1日の地震発生直後から、9月3日までの揺れが記録された気象紙が出てきたのです。あの興奮はいまだに忘れられません。