夕刊フジ編集長の中本裕己さんは、自身が56歳のとき、45歳の妻が妊娠7カ月でおたふく風邪から心筋炎になり、緊急帝王切開で出産することになった。中本さんは「母子ともに生命の危機を乗り越えた息子誕生から1年ほど経ったころ、妻から妊娠前の苦悩について聞き驚いた。子宮筋腫が10センチになり、医師からは子宮摘出の話まで出ていたらしい」という――。(第2回/全3回)

※本稿は、中本裕己『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)の一部を再編集したものです。

安産祈願で神社を訪れた中本裕己さん(左)と妻
安産祈願で神社を訪れた中本裕己さん(左)と妻。中本裕己『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)より

育児をしつつ考えてしまう自分たちの介護問題

2歳になった。成長が日を追うごとに早くなっている。

息子のオムツを替えるのも、だんだん手馴れてきた。うんちをしたときは近寄ってきて、「ウンシ……」と小声でオムツ替えをせがむようになった。間もなくトイレトレーニングが始まるだろう。

哺乳瓶が、いつの間にか乳児用のコップに替わった。泣き声でミルクを欲しがっていたのが、「チャ!」と言葉に出して、麦茶を求めるようになった。

息子にとって生まれて初めての節分。
息子にとって生まれて初めての節分。中本裕己『56歳で初めて父に、45歳で初めて母になりました 生死をさまよった出産とシニア子育て奮闘記』(ワニ・プラス)より

離乳食が始まったときは、スプーンで口に運んであげた。少しずつ手づかみで食べることを覚えた。やがて、スプーンやフォークが使えるようになり、幼児用の補助イスを固定するベルトを外しても危なげなく食べられるようになった。

赤ちゃんのときは、一生懸命ハイハイをしていた。やがて防護柵につかまり立ち。そして手を離して自立歩行ができるようになって、防護柵の意味もなくなりつつある。

毎朝、着替えを担当してきたが、オムツ、肌着、ズボン、Tシャツ……と、着せ替え人形のように、されるがままだった。それが、「お首は?」と言えば自分から頭を出し、「たっちして」と指示すればズボンに片方ずつ足を通せるようになっている。

赤ちゃんのときは、空気でふくらませた小さい沐浴用のプールにそおっと体を浮かべて洗っていた。目にお湯が入っただけでギャアギャア泣いていたのが、シャワーで頭を丸洗いしても平気になり、湯舟でバシャバシャはしゃぐほど風呂が大好きになっている。

ヒトより寿命が短い動物は、産まれてすぐ4本足で立つ。そうしないと、弱肉強食の世界で生きてはいけない。ヒトは、ある程度の年齢まで親が見守ってやらなければ、外敵から身を守れない。進化しているようでほかの動物よりもの覚えは遅い。それでも2歳にもなると、かなりのことが自分でできるようになる。

子を持つ親は、みんなそうだと思うが、毎日、ダーウィンの進化論を見ているような楽しみがある。