GHQの考えは「放送サービスは無料」

ここまで一体化したのだから、協会は国営放送となって、受信料の徴収をやめてもよかった。しかし、それでは逓信官僚の天下り先がなくなる。また、軍事通信網に巨額の国費が投入されているので、「民間放送」が得ている受信料で日本全国、および海外に放送ネットワークを広げられれば、それに越したことはない。

日本は戦争をしていたので、その関連ニュースを得るため、ラジオを購入し、受信料を払う人々が激増した。協会は国策プロパガンダを流して巨利を得ていた。

このシステムを根底から覆そうとしたのが、終戦後日本にやってきた占領軍だった。彼らの目標は、放送を国家権力から引き離すこと、放送を民主化(アメリカ化)することだ。つまり、電波監理委員会という政府から独立した行政機構に放送を任せ、政府に届け出なくても自由に放送を受信できるようにした。

アメリカの考えはこうである。

電波はみんなのもの(公共の電波)なので、電波を使用する事業者はみんなのためになる放送サービスを無料で提供しなければならない。人々はそれを自由に受信する権利があり、放送を通じてさまざまなことを知る権利がある。だから、広告を流して利益を得ることはいいが、受信料を取ってはいけない。受信料を払えるものが受信でき、払えないものが受信できないのでは、公共の電波の使い方として適当でない。

受信料徴収は当座の便法だったが…

この方針でNHK(1946年からこの呼称を使い始めた)は窮地に陥った。ラジオを買っても届け出しなくてもいいとなれば、届け出に基づいて受信料を徴収できなくなる。占領軍は、NHKの地方局のそれぞれが、アメリカの放送局のように、広告と寄付金と地方自治体からの交付金で運営していけばやっていけるというが、NHKはそんなことをやったことがなかった。

そこで、占領軍は既存の組織を維持するため、当座の便法として、受信料の徴収を認め、徴収率を高めるために、放送法の中に受信契約義務規定を入れるのを許してしまった(ただし「放送法の父」と呼ばれる民間通信局分析課長代理のクリントン・ファイスナーは憲法違反を指摘していた)。これが現在の受信料制度の起源だ。

その一方で、占領軍は、受信料を取らず、広告収入で経営していく民間放送の設立を地方の財界に働きかけた。その結果、放送法を制定した1950年以降、次々と民間放送局が誕生していった。占領軍は、いずれNHKも受信料徴収をやめ、広告と寄付と交付金でやっていくと楽観していた。