「どこかにお金ないですか」

2人で研究を進めたと説明しましたが、研究の過程ではどうしても人数が必要なこともあり、「すみません、1年だけレンタルさせてください」と頼んでレンタル部下を増員した時期もありました。そんなときは必死に頼むと、案外、協力してくれるものです。資金が足りなかったときには、「すみません、どこかにお金ないですか」と言って回ると、「少しだけど、使ってもいいよ」と自部門の予算の一部を提供してくれる人が現れました。なりふり構わず頂点に向かって突き進む姿を見守ってくれていたのでしょう。今でもその人たちには本当に感謝しています。

世界という大きな目標があると、細かいことを気にしなくなるものです。お金の無心だって、恥ずかしくない。それよりも負けるほうが恥ずかしい。必要のないプレッシャーも感じることなく、いかに自分の能力をフルに使い切れるかに意識が向くようになりました。

振り返ってみれば、最初に世界を目指すという目標を立てることが重要だったのでしょう。高校では山岳部、大学ではワンダーフォーゲル部に所属していたので、全体を俯瞰ふかんしてその場の対処を考えたり、同じ目的を達成するために仲間と力を合わせたりすることを学べたおかげかもしれません。

約20人の役員を説得して回った半年間

NISTのベンチマークにはその後も挑戦を続け、これまでに6回のNo.1を獲得していますが、その間には事業として成り立たせる活動も並行して進めていきました。私の役割は技術をわかりやすく伝えることだと思ったので、国内外を精力的に回りましたし『顔認証の教科書』も執筆しました。

また、事業化に必要な全社横断の取り組みを進める「顔認証技術開発センター」を立ち上げました。ただ、当時はまだ社内でもビジネスとして有力視されていなかったこともあり、なかなか思うように進みませんでした。そこで半年ほどで約20名の執行役員を説得して回ったのですが、中にはとても理解があり、具体的に説明のしかたやキーパーソンは誰なのかといったアドバイスをくれる方もいました。世界の見る目を変えてから、社内の見る目を変えていったわけです。

それから忘れられないのが、社長賞の表彰式です。当時の社長だった遠藤信博さん(現・特別顧問)に対して、思い切って「いい技術を作ったので、売り込んでください」と言ったところ、「俺が売り込んでやる」と応えてくださって海外市場への販売に弾みがつきました。