メディアへの不信感は容易に想像できるが…
そのために加地大夫は、両者の板挟みになり、いいたくてもいえないのだという。にわかには信じられない話だが、もしそうだとしたら、皇室解説者の山下晋司氏がいうように、
「国民からすれば公私は関係なく、そのお人柄に関心が向けられます。むしろ“私”のお姿の中にそれがよくうかがえることもあるのです。(中略)プライベートとはいえ、もう少しオープンにされたほうがいいと思います」
眞子さんの結婚問題以前から、紀子さんの職員に対する厳しい接し方は報じられていたが、小室圭さんとの結婚延期騒動から、小室家だけではなく、秋篠宮家のプライバシーについてもさまざまな形で報じられたため、秋篠宮夫妻がメディアに不信感を持っていることは容易に想像できる。
しかし、だからといって、なにもかも隠してしまえというのは、羹に懲りて膾を吹くようなものである。秋篠宮は男女分け隔てなく接すると公言しているように、開明的な考えを持っているように思うが、紀子さんのほうは違うのだろうか。
天皇家との違いはタイトルを見ても明らかである
最近は、長女・眞子さんの結婚強行、ニューヨークへの“逃避行”をはじめ、次女・佳子さんが新居へ移らず「仮寓所」暮らし、昨年は長男・悠仁さんの作文“盗作”疑惑など、秋篠宮家のプライバシーがメディアに報じられ、秋篠宮家への世間の風当たりは強まるばかりだった。
秋篠宮夫妻がチャールズ国王の戴冠式に出席すると発表されてからは、宮内庁に「なぜ天皇皇后ではないのか」「愛子さんに行ってもらうべきだ」という電話やメールが殺到したといわれる。
その際、常に比較されるのは天皇家との違いである。兄天皇と弟の秋篠宮、雅子皇后と紀子さん、一人娘の愛子さんと、奔放な眞子さん、佳子さん姉妹。週刊誌のタイトルを拾ってみても、
「佳子さま(28)『醜い私は嫌!』異例通達で撮影拒否!」
「不休の決意雅子さま(59)『この命を国民に』」
「愛子さま(21)『伝統守る』〈驚〉進路は文学教授」(以上、女性自身4月11日号)
「佳子さま(28)引っ越し断固拒否で突き進む『電撃婚』」
「雅子さま(59)『試練の6月』乗り越える深愛」(以上、週刊女性4月25日号)