なぜ日本は勝てない戦争に突入したのか
日本は、勝算の乏しい太平洋戦争になぜ突入したのか。これは、京都大学法学部教授を長く務めた国際政治学者の故・高坂正堯さんが唱えた「国際政治は3つの体系から成り立っている」という説を基に考えると、わかりやすいでしょう。ロングセラーになっている著書『国際政治 恐怖と希望』(中公新書)にくわしく書かれています。
3つの体系とは、価値の体系、利益の体系、力の体系。国際関係は、この3つの体系が複雑に絡み合っているのです。高坂さんは、〈国家間の平和の問題を困難なものとしているのは、それがこの三つのレベルの複合物だということなのである。しかし、昔から平和について論ずるとき、人びとはその一つのレベルだけに目をそそいできた〉と書いています。
古今の戦争も、この3つの体系のバランスから読み解くことができます。
太平洋戦争は、力の体系から見れば、完全に無謀でした。利益の体系からすれば、日本に益があるのか、冷静な分析は行われませんでした。ところが、価値の体系が肥大してしまいました。欧米の白色人種の支配からアジアを開放するという理念だけが肥大し、アメリカ、イギリス、中国、オランダによる「ABCD包囲網」を突破しようとして、暴発に至ったのです。
力の体系と利益の体系という視点が、戦前の日本には欠けていました。必勝の信念さえあれば、物量を凌駕できると考えたのです。理念や信念は価値の体系ですから、力にも利益にも反します。価値の体系だけが肥大して、勝てない戦争に突っ込んでいき、壊滅的な被害を招いてしまいました。
相手を殲滅するか、自分が玉砕するか
私が以前から価値観外交に冷ややかなのは、価値が肥大すると、ろくなことが起こらないからです。価値は観念でありイデオロギーだから、肥大化しやすいのです。
人間は、観念や思想で死ぬことができます。日本軍がなぜ玉砕を好んだかというと、殲滅の思想しかなかったためです。退却や撤退を価値の外に置いたせいで、相手を殲滅できない状況になれば、被殲滅すなわち玉砕戦術しか取りえません。これは、必ずしも軍部のエリートが望んだわけでなく、国民も望んだ相互作用の結果だと思います。
しかし価値の体系が肥大化しやすいのは、日本人の独特な思考法ではありません。マリウポリのアゾフスタリ製鉄所に長く立てこもっていたウクライナのアゾフ連隊なども、それに近い。地下にこもって住民を巻き込んだところなど、沖縄戦によく似ています。
日本軍は、最終的に退却を余儀なくされると、「初期の任務を達成したために転進する」と説明しました。ウクライナも、このフレーズを好んで使います。マリウポリでもセベロドネツクでも、「新たな反撃体制を構築するための目的を達成したので、移動する」。よく似ています。