発見したのは探していたのとは別の遭難者だった

笛が鳴るたびにWさんの名前を呼び、その声に笛の音が返ってきた。

笛が鳴る方へ隊員が向かうと、泥のついた赤い雨具を着て、ひげをはやし、右目の下に傷を負って脚を引きずる登山者と出会った。

「よかった! 1週間前に皇海山へ登ろうと群馬側から入山したのだけど、途中で道に迷って滑落してしまい、けがをして動けなくなっていたんです」

1週間前? よくよく話を聞くと、彼が遭難したのは6日前、Wさんが山に入ったのと同じ日だ。山の中にずっといて、日付感覚がズレていたのだろう。

「Wさんですか?」と尋ねると、違う登山者だった。

もしかしたら、あのレンタカーの方か、と隊員は直感したという。

バックパックを背負い、山の尾根から景色を眺める男性
写真=iStock.com/Everste
※写真はイメージです

レンタカーに抱いた違和感は正しかった

捜索2日目、地上捜索隊が日光側へ下山してきて、予定通り私の車で群馬県側の登山口へと戻った時のこと。21時を過ぎ、真っ暗な皇海橋駐車場に着くと、山﨑さんが口を開いた。

「やっぱり、このレンタカーおかしいよ、昨日もここに停まっていて、動いた形跡がないよ」

嫌な予感がする。Wさん以外にも、この山で遭難者が……? 私たちはレンタカーのナンバーを控え、不審車両として群馬県警察へ報告していたのである。

中村富士美『「おかえり」と言える、その日まで』(新潮社)
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登山者は「1週間動かず、パンを小分けして食べて空腹を凌いでいました。この山域は平日、登山者も多くないから、休日になるのを見計らって動いてここまで来たんです」と安堵あんどした様子で話したそうだ。実際はこの日は木曜日だったが、ヘリコプターが飛んでいるのを見つけ、「もしかしたら、自分を捜索してくれているか、他にも遭難した人がいて、救助隊が入っているのかもしれない」と思ったという。

この方が生存発見につながったのは、足の骨折と顔の擦り傷だけで、致命的なけがを負っていなかったからであろう。また、薄皮アンパンを多めに持参していたため、それで食いつなぐこともできた。遭難直後には雨にも見舞われたが、6月ということ、標高も1500〜1700メートル程度の場所にとどまっていたことから、低体温症に陥るほど体温が低下せずに済んだことも大きい。

※編註:Wさんは行方不明から約5カ月後の11月、案内中の登山ガイドによって骨の一部が発見され、その近くの絶壁で遺体で発見された。

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