「遊び」の内向きな進化
ひと昔前の人びとは、YouTubeやNetflixなどもちろんない。家でじっとしていたらそれこそ本当に「何もない」からこそ、仕事終わりで疲れた体でも街に繰りだしていた。いまほど日々の暮らしに「娯楽」がなかったからこそ、相対的に「外」が楽しかったのだ。
だが、今の若年世代からすれば、仕事で疲れているならもうそのまま家に帰って、ゆっくりお風呂に入りながらスマホを観たり、ご飯を食べながらPrime Videoを観たりしていた方がよほど合理的だ。あるいはツイッターだってそうかもしれない。いずれにしても、家にいる時間をいくらでも楽しく消費できるコンテンツで遊び、そうこうしているうちにあっという間に時間は過ぎ、気づけば中年になって「まさかこんなはずでは」と愕然とする。
「いつのまにか独身中年になってしまった」と悲嘆に暮れている人は、いま世の中に大勢いるだろう。しかし私は必ずしもそのすべてが本人に帰責されるとは考えていない。というのも、この半世紀をみても「外」での遊び方や楽しみ方が昔とそれほど変わっていないのに対し、「内」での遊び方や楽しみ方の進歩は目まぐるしい進化があったからだ。
かつては暇で暇でしょうがなかった「内(おうち時間)」の世界も、いまではそれなりに楽しいことが目白押しだ。それによって味わえる主観的な楽しさは個人差はあれど、それこそ「外」に勝るとも劣らないくらいにまで伸びてしまっているだろう。さらにスマートフォンや携帯ゲームの進化によって、街にいるときですら「内」の延長のような過ごし方が送れるようになってしまった。
いうなれば、ここ数十年間にわたって先鋭化してきた「『遊び』の内向き方向の進化」が、「何も人生に変化を起こせないまま年だけとってしまった人」「自宅と仕事の往復をしているうちに中年になってしまった人」を大量につくりだしてしまった。
現代人は「内」で過ごす時間が楽しすぎる。本当はこのままじゃマズいと思っているのに、しかし能動的に活動するのはコスパが悪いし、なんだか割に合わない気がする……そんなどっちつかずの思いでズルズルと変わらない日々を過ごしてしまう。