美味しくて楽しい停滞

牛丼チェーン店を訪れてたかだか数百円を支払えば、その価格からは信じられないほど美味しい牛丼をお腹いっぱいに食べられてしまう。この事実は、この国で苦しい日々を送る生活困窮者の「こんな国(社会)なんかぶっ壊してやる」という絶望からくる破壊的・暴力的衝動の発生を大いに抑制しているだろう。

吉野家 新大久保駅前店
写真=iStock.com/Kokkai Ng
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それと同じように、安価もしくは無料の動画コンテンツが家にいながらにして毎日提供され、自分の好きなタイミングでそれを楽しめるサービスやデバイスがあることは、この国の妙齢男女から「外に出て街に繰りだし、本気で人間関係(≒交友、人脈拡張、自己研鑽、恋愛、結婚に向けた活動)をやって、不満のある寂しい現状を変える」という動機や活力を奪ってしまってもいるだろう。

美味しい食事や楽しいコンテンツが安く簡単に手に入れられてしまう状況がこの社会にはある程度システムとして完成されている。ゆえに人生に強い不満や虚無感を抱えている人であっても、ただちに人生を終わらせたり、ぶっ壊してしまいたくなるほど「クソな世の中」とは感じなくなってしまうのだ。

この国は高齢者以外への福祉や社会支援はきわめて手薄であるが、しかし資本主義(営利企業)によって提供される安価で高品質なモノやサービスが、実質的にその穴埋め的な役割を担っている。なおかつそうしたモノやサービスは、不満や不遇を抱える人にとってそれでも状況を変えずに「なあなあ」の日々を送らせる、いわば“ガス抜き”のようなツールにもなっている。