行きすぎた報道があったことは間違いないが…
女性自身も、「国民が求めるような情報発信よりも、“ネガティブな意見や声”をおさえることを重視するのであれば、皇室が積み重ねてきた国民からの信頼を無に帰してしまいかねない」と危惧している。
秋篠宮眞子さんの結婚問題で、小室圭さんと母親の佳代さんや、小室家のプライバシーを暴き立てる報道に行きすぎがあったことは間違いない。
秋篠宮や紀子さん、長男の悠仁さんに対するバッシング報道にも問題があったことは事実であろう。
だが、そうした報道を抑えつけるために、広報とは名ばかりの「言論規制」する部署をつくるのだとすれば、秋篠宮と宮内庁は大きな間違いを犯すことになると思う。
これまで国民が知ることがなかった皇室の人たちの素顔や仕事ぶりを、広く国民に知ってもらうために、英国王室のようにSNSなども駆使して情報発信していくのが、新設される広報室の役割ではなかったのか。
藤原室長が柔和な顔で、「国民の皆さまのための広報室を目指します」といっても、彼女の経歴を見れば、多くの国民は、その言葉を素直に受け入れることはできないのではないか。
もし、秋篠宮がこの人事に何らかの関与をしていたとすれば、残念に思うのは私だけではないだろう。
かつて、皇室とメディアはもっと近かったはず
以前にも紹介したが、戦後の一時期、皇室とメディアの幸せな時代があった。『週刊新潮が報じたスキャンダル戦後史』(新潮文庫)には、「殿下、ズボンが太すぎます」(1960年9月5日号)という記事がある。
ここで出てくる皇太子は現在の上皇である。いつ見ても皇太子のズボンがダブダブでみっともない、若いのにハツラツと仕事をしているように見えないと批判しているのだが、その新潮に対して山田東宮侍従長がインタビューに答えているのである。このやりとりが実に面白い。
1974年9月26日号では、「三笠宮殿下がデートしている『変な赤坂芸者』」という記事もある。
1982年9月3日号では、皇太子妃美智子さん(当時)の父親、正田英三郎氏(当時79歳)がインタビューに答えて、こう語っているのだ。
「私ども、もうさんざん、ご辞退申し上げたんですよ。それが最後は、ホラ、当人同士が電話で話して、決めちゃったわけ。しょうがないよねえ。もしも、あの時、娘が皇太子妃になっていなかったら……。いまさらいったって始まらないから、考えたこともありませんがね」
現上皇と美智子上皇后が開いてきた皇室の重い扉が、再び閉じられようとしているのではないか。