ステレオタイプ的に考えがちな人のための処方箋として、「哲学」を学ぶことをおすすめしたい。哲学が「帝王の学問」と考えられるのは、テキパキと決断をしなければならない帝王が、固定的なものの見方に陥ることを予防するために哲学が有用だったからだと思う。哲学の勉強は時間がかかる。ビジネスの第一線で働く人たちにとって、そんな悠長な時間はないと思われるかもしれない。しかし、急がば回れ、である。悠長な時間がないからこそ、悠長に考えなければならない。1ページ目の表はPNSをビジネスパーソンむけに筆者が作りなおしたものである。あなたがどのくらい、「仕事は速いが、腹も立てやすい」のかを振り返るためのツールとしてお使いいただきたい。
PNSに無関係に仕事が速い人たちがいる。ある仕事に習熟している人たちで、たとえて言えば将棋や碁の名人である。何千何万の指し手から一瞬にして、妙手を考えつくことができる。熟達者は仕事体験と訓練を積み、「記憶」「目のつけ所」「課題に対するアプローチの仕方」などが初心者に比べて断トツに優れている。企業の昇進階段を上っていく人は、熟達という観点からすれば、当然仕事は速いし、そのこと自体は企業にとっても、本人にとってもプラスであろう。しかし、熟達すると、セルフエフィカシー(自分がある状況で、あることができる能力があるという意識)が高まる。セルフエフィカシーが高くなると、その結果受け取る種々の報酬(ポジション、給与、処遇、敬意など、社会的、物質的、心理的な報酬のこと)への期待が高くなる。セルフエフィカシーの高い人が、期待した処遇や敬意を受け取れないと、不平をもったり、憤激しやすくなる。有能な女性が、同じ能力をもっている男性に比べて、昇進ができないとか、給与が安いときの心理状態を思い浮かべていただきたい。
仕事の速い人は、おまけに社会的地位が高いため、自分は自分の意見や感情を表現できる権利があると思いこむことがある。部下が、自分の意見に反対したり、自分が期待している尊敬の気持ちを表現しないと、かっとなってしまう。このような上司は傲慢であるとか、パワーハラスメント的な人と、部下から思われるリスクがある。傲慢はセルフエフィカシーのないことの裏返しの虚勢であるが、セルフエフィカシーと報酬期待のマトリックスから生まれる怒りと誇りと軽蔑のまじりあった情動は、能力と成果の裏付けがあるだけに要注意である。セルフエフィカシーが高くすぐに腹を立てる人には、セルフエフィカシーと、受け取る報酬への期待を切り離すことが有効な処方箋だと思う。
セルフエフィカシーは自分の努力で高めることができるが、受け取る報酬は、相手次第である。成果をあげたときには、それにふさわしい処遇を受けたい気持ちが起きても当然だが、受けることができることもあれば、できないこともある。自分ではどうすることもできないことに心を煩わせるのは愚かなことではないだろうか。
注1:Journal of Personality and Social Psychology 1993. Vol.65 No 1. 113-131 p125
注2:Personal Need for Structure Scale
注3:構造主義に興味をもたれた方には、橋爪大三郎著『はじめての構造主義』講談社現代新書を読むことをおすすめしたい。
注4:山本七平著『一下級将校の見た帝国陸軍』文春文庫 p130
注5:Steven L. Neuberg and Jason T. Newsom “Personal Need for Structure: Individual Differences in the Desire for Simple Structure”
注6:今井むつみ・野島久雄共著『人が学ぶということ』北極出版 p157