自分の貢献度を過大視するワケ

このように、協同作業をしたときの自分の貢献度を過大評価することを「貢献度の過大視」と言います。

自分と相手とでは手に入る情報が違うため、相手の貢献よりも、自分の貢献を容易に思い出せることが、この過大視の主な原因と考えられています。「自分ばかりが貢献している」と感じたら、相手とは持っている情報が違うということを思い出すといいかもしれません。

グループの人数が増えた場合には、ほかの人たちの貢献についての見落としも増えます。すると、自分の貢献度を過大視する程度も大きくなるようです。

大学生を対象に実験を行い、所属するグループの活動に自分は何%くらい貢献したと思うかを尋ねたところ、グループの人数が増えるにつれ、1人ひとりの過大視も増加し、結果的に自己申告された貢献度のパーセンテージの合計も大きくなることがわかりました。

『イラストでサクッとわかる! 認知バイアス』よりイラスト
イラスト=ナカオテッペイ

「あいつは“自己チュー”」とお互いに思っている

友だちや職場の人と協同作業をしたとき、「この人は、自分の貢献度を過大評価していそうだ」と思ったことはありませんか?

このように、ほかの人は自分に有利になるように、自分の貢献度を見積もっているに違いないと考えることを、「ナイーブ・シニシズム」と言います。「シニシズム」は、ものごとを冷笑的に眺めること。ほかの人は自分の貢献度を過大視していると冷笑的に考えるところから、「ナイーブ・シニシズム」の名がついています。

実際と予想は食い違っている

ある実験では、夫婦の協同作業に対する自分の貢献度をパーセンテージで答えてもらいました。また、「同じ質問をパートナーにした場合、どのように答えると思うか」というパートナーの回答に対する予想も同時にしてもらいました。すると、先ほどの「貢献度の過大視」と同様に、自分の行動に対する回答では、出来事のよしあしに関係なく、貢献度の過大視が見られました。

興味深いのは、パートナーの回答について予想した結果です。よい出来事の場合、「パートナーは自分の貢献を過大評価しているに違いない」と予想し、実際にもその通りでした。しかし、予想された過大視の程度は、パートナーが自身を過大評価していたよりも、さらに大きなものでした。

一方、よくない出来事の場合は、「パートナーは自分の責任を過小評価しているに違いない」と予想していましたが、パートナー自身の回答は、逆に自分の責任を過大評価するものでした。

私たちは、協同作業のパートナーが自らの貢献や責任について考えるとき、実際以上に利己的で公正さに欠けると疑っているようです。