自分は正しい! ほかの人は間違っている
このように私たちは、他者の判断には自己中心的なバイアスが見られると過度に予想しがちなのですが、その一方で、自分については客観性を備えた冷静な観察者であると自負している傾向があります。
たとえば、会議などで多数決を採ったら、自分の予想と実際の結果が違っていて驚いたことはないでしょうか。これは、現実の捉え方に関する素朴な信念が影響していると考えられます。この信念を「ナイーブ・リアリズム」と言います。
ナイーブ・リアリズムには、「自分は現実を客観的に見ており、自分の意見は、得た情報をそのまま冷静かつ公平に吟味した結果だ」という自分に関する信念と、「同じ情報に触れて、同じく合理的に検討したなら、ほかの人も自分と同じ意見になるはずだ」という、他者に対する信念の両方が含まれます。
つまり私たちは、自分は正しく、その正しさを他者とも共有できるはずだと素朴に信じているのです。
意見が違うのは相手に問題があるから?
ナイーブ・リアリズムにはさらに、他者と意見が食い違ったときの理由に関する信念も含まれます。
食い違いを経験したとき、私たちは「きっとこの人は自分とは違う情報を見たんだ」「この人は合理的な考え方ができない人なんだ」と考えたりします。また、「この人は自分の主義主張や利益のためにゆがんだ見方をしているのだ」と考えることもあるでしょう。
このように、自分と意見が食い違うのは相手に問題があるからだとする信念は、ときに他者との間に対立を生む原因になります。
1951年に行われたダートマス大学とプリンストン大学のアメリカン・フットボールの試合は、開始直後からけが人が続出し、審判の警告が飛び交う大荒れのゲームでした。後日この試合を題材に、次のような研究が行われました。
まず両校の学生に試合の映像を見せ、試合中に生じたルール違反とその激しさの程度を評価してもらいました。すると、お互いが異なる見方で試合を解釈し、相手チームを非難していたことが明らかになりました。さらに、両校で意見が違うことがわかると、「自分と相手が見ている映像が違うはずだ」という、ナイーブ・リアリズムに基づく主張が見られました。