軍政下で行われた「考えさせない」教育

そして1988年がやってくる。

軍事独裁政権に耐えかねた人々が立ち上がった、忘れ得ぬ民主化闘争の年だ。大学生たちが始めたデモは日を追うごとに拡大し、僧侶、教師、商店主、公務員などさまざまな立場の市民が合流していった。

サンサンさんは高校2年生だったが、戒厳令が出て学校は閉鎖された。迷うことなくデモに参加したという。

「うちは街の中心地にあったから、家の前の通りがデモ隊で埋め尽くされた。一歩外に出たらもうデモに参加する感じ」

民主化を求める思いはそれ以前からあったんですか? と問うと、サンサンさんはことばを探した。

「ええと、なんていうか……そもそも民主化なんて考えられない状態で。ミャンマーではレベルの低い教育しか受けられないようになっていたんです。そのほうが支配しやすいから」

1960年代から続く軍政下、「考えさせない」教育が徹底していた。子どもたちは学校に行っても、字を習い、簡単な暗記をするだけ。作文や感想文を書く機会は一切与えられなかったという。それが「考えさせない」教育だ。そもそも義務教育ではないため、学校に行かず読み書きができないまま大人になる人もたくさんいた。

ミャンマー、バカンにある学校
写真=iStock.com/yuelan
※写真はイメージです(ミャンマー、バカンにある学校)

その代わり政府高官の子弟は必ず海外に留学し、学問を身につけ、裕福な暮らしを享受する。なるべく格差が埋まらないように、貧乏人が人権意識や民主主義に目覚めないように。それが国の方針だった。

アウンサンスーチー氏の演説で目覚める

「テレビの放送は夜の8時から10時の2時間だけ。そこでニュースが流れるんだけど、いま思えばだましてるニュースでしたね。もちろん当時はだましてるなんてわからない、みんな洗脳されてるから」

報道の自由がまったくない。恐ろしいことだ。だけどそこまで徹底して「考えさせない」ようにしても、人々は目覚めたのだ。

「ちょうど1988年にアウンサンスーチーさんが帰国して、みんなの前で演説をしました。それを聞いて、このままじゃダメだと多くの人が気づいたんです」