派手な振る舞いはビジネスのため
盛田昭夫は、日本人には珍しい国際派ビジネスマンと評された。
71年にアメリカの週刊誌『タイム』の表紙を飾り、88年にはシンディ・ローパーとハグする写真が『ニューヨーク・タイムズ』の表紙を飾った。マイケル・ジャクソンとは「先生」と慕われるほど親しかった。
盛田さんの英語は決して流暢ではなかった。それでも、押し出しがよくて内容がおもしろいからみんな耳を傾ける。スピーチやプレゼンテーションの専門家からレッスンを受けていたようだ。しかし盛田さん自身は、あまり派手な社交が好きではなかった。私が知る限り、ふだんはどちらかといえば地味な暮らしぶりだった。
盛田さんの実家は、愛知で江戸初期から続く造り酒屋で、長男の盛田さんは第15代当主でもあった。私が外国人のお客様と盛田さんのお宅にうかがったとき、食事は一人ずつお膳で運ばれてきた。奥さんの良子さんは同席しない。盛田さんは和服で床の間を背に座っている。まるで時代劇のようだった。
国際人としての派手な振る舞いは、すべて必要だからやっていたことだ。アメリカが誇る映画会社のオーナーになり、政財界のコミュニティーに仲間入りできたら、人脈、情報その他でビジネス上のメリットは計り知れない。
優秀な人材が続々とソニーに集まってきた
コロンビア買収後は、盛田さんが期待していた通りになった。ソニーはアメリカの一流企業と認められ、盛田さんもファウンダー(創業者)の立場でずいぶん株をあげた。財界人のパーティーに招かれただけでなく、ホワイトハウスからも式典の招待状が届くようになったのだ。私が考えてもみなかった副産物もあった。
ソニーのアメリカ法人の採用で、優秀な人材が集まるようになったのだ。それまではハーバード大学やマサチューセッツ工科大学などの卒業生はいなかったのに、名門大学の出身者がぞろぞろと入社してくるようになった。やはりアメリカの魂である映画会社を傘下に持つ企業という評価が大きかったに違いない。
名門企業のブランドは、お金だけでは買えない。アメリカ社会に溶け込むためには、ハリウッドでオーナーの一員になるのが近道であると判断した盛田さんは正しかった。
コロンビア映画の買収は、映画ビジネスで儲けるのが「目的」ではなく、アメリカでソニーのプレゼンスを高めるための「手段」といってもよかった。しかし私は、社内の人から「コロンビア映画を買って何がやりたいんだ?」と質問されて、「ハードとソフトの両立」と通り一遍の返事しかできなかった。
もちろん盛田さんも、コロンビア映画の作品がヒットすることは望んでいただろう。しかし、それは「目的」ではなかった。