「欧米の下請けにとどまっていいわけがない」

三菱重工は宇宙開発、防衛など官需の仕事を多く担ってきた。社風も「手堅い」「慎重」と言われている。その会社が、どうしてこんなに派手な撤退劇を演じることになったのか。

もともと「日の丸ジェット旅客機」の開発を仕掛けたのは、経済産業省だ。

日本では、三菱重工をはじめ航空機産業に携わる企業は多い。

だが、その役割は、ボーイングやエアバスなど欧米企業の下請けとして、機体やエンジン、部品などを製造・納入することだ。

経産省は、航空機産業を新たな成長産業へ転換させよう、と考えた。

<日本がいつまでも欧米の下請けにとどまっていていいわけがない。ブラジルやカナダだって丸ごと旅客機を造っている。モノづくり大国の日本にできないはずがない。航空機産業は裾野が広く、経済成長につながる>と、いうわけだ。

だが、三菱重工は事業を担うことには慎重だった。技術リスクがあり、採算が見通せないからだ。

判断を留保し続けたが、経産省に押し切られるような形で事業化を決めた。

当時、記者たちの間では、三菱重工を翻意させた経産省の剛腕ぶりについて、さまざまな噂や臆測が飛び交った。それほど驚きの決断だった。

だが、開発はトラブル続きとなる。航空会社への納入延期は6回にのぼり、途中で航空会社からキャンセルされることもあった。

「技術を事業にするための知見が足りなかった」

最大の難関は、機体開発というハード面ではなく、「型式証明」というソフト面だった。

型式証明は、製造企業が、機体に使っている部品の安全性などを各国の航空当局に証明するものだ。そのノウハウはまさに企業秘密。三菱重工は知識も経験も乏しく、YS11時代の日本の体験を生かそうにも、技術や証明の仕方が様変わりしていたという。

YS11の頃は、出来上がったモノで安全性を確認していたが、今では、作る過程を含めて安全性を証明することが求められるという。

部品は約100万点にわたり、部品調達先は欧米を中心に30社超。さらにその下請けまで含めると何千社もある。

その製造過程も含めて安全性をどのように証明したらいいのか。型式証明に携わった技術者は「日本的生真面目さで、自分たちの目ですべてを確認して証明しようとしたが、そんなことは到底できないとわかるまで、1年を費やした」と振り返る。

経験豊富な海外の人材も多数雇ったが、壁を超えることはできなかった。

型式証明を獲得するには、今後数年にわたって毎年1000億円ほどの投資が必要になるとみられている。開発期間が長引き、旅客機の技術としても古くなった。事業性はますます見いだせなくなった。

2月7日の記者会見で三菱重工の泉澤清次社長は「技術がなければ試験飛行できなかった。ただ、その技術を事業にするための十分な準備、知見が足りなかった」と語った。