20世紀に凋落したイギリス

イギリスは、18世紀後半から20世紀前半まで長らく世界の金融センターとして君臨してきた。1957年の時点でも、まだポンドは世界貿易の40%で使われていたのだ。

アイルランドが追加される前の歴史的な時代からの歴史的な組合旗またはジャック
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しかし、イギリス経済の凋落とともに、アメリカにその座を奪われつつあった。

イギリスは、第二次世界大戦直後にインド、エジプトを失い、他の植民地も次々に独立していった。第二次世界大戦終結時点では7億人以上を支配していた大英帝国は、1965年にはわずか5000万人の国民を有するのみとなっていた。

イギリスは、第二次世界大戦後、経常収支の赤字、ドル準備、金準備の減少に苦しめられ、たびたびポンドの価値を維持できない「ポンド危機」に見舞われた。

1949年には、大幅な「ポンド切り下げ」を行った。そこには、世界の銀行とさえ呼ばれた、往年の大英帝国の姿はなかった。

ポンドは信用力を急速に失い、世界の基軸通貨の座をドルに明け渡すことになった。

イギリスのシティ・オブ・ロンドンが、世界の金融センターとして君臨してきたのは、強いポンドがあったからである。シティはポンドを取扱うことで、世界の金融を牛耳ってきたのだ。

しかし、ポンドの価値が下がり、基軸通貨としての役割を失えば、シティの影響力も弱まる。シティはポンドの凋落とともに、力を失っていった。

それを取り戻すために、イギリスは危険な賭けに出た。

「タックスヘイブン」の創設である。

世界中の多国籍企業がイギリス植民地に本社を置いた理由

タックスヘイブンの起源は、19世紀にまでさかのぼる。

西洋の列強が、アジア、アメリカ、アフリカを手当たり次第に食い散らかしていた時代のことである。

当時、企業のグローバル化が起こり始めていた。そしてイギリスでは、植民地への投資を増やすために、植民地の企業の税金は安くしていた。そのため、イギリスの植民地には、多くのイギリス企業が移転してきたのだ。

そのうちイギリスだけではなく、世界中の多国籍企業が、イギリス植民地に本社を置くようになった。

当然、イギリス植民地は、潤った。

税金を安くしても、会社が本社を置けば登記費用などがかかるし、また会社はある程度、その地域にお金を落としてくれる。

イギリス植民地にとって、それは貴重な財源となったのだ。

だから、イギリスの海外領は、第二次世界大戦後も、税制はそのままにしておいた。せっかく本社を置いてくれている多国籍企業に出て行かれないためにである。

そしてイギリスの海外領は、1960年代ごろから、スイスのような秘密主義を取り入れた。

具体的に言えば、

・税金を安くする
・会社の登記などが簡単にできるようにする
・金融の秘密を守る

等である。

つまり、このときに「タックスヘイブン」が出来上がったのである。