スティーブン・リチャーズ・コヴィー
Stephen Richards Covey
世界38カ国に拠点を持つフランクリン・コヴィー・グループの創設者。『7つの習慣 成功には原則があった』は世界で2000万部以上を記録。25年間にわたりリーダーシップの原則とマネジメント・スキルについて、ビジネス、政府、教育の現場を通して指導。近著『第3の案』がベストセラーに。
http://www.franklincovey.co.jp/books/


 

Q 自分ではものすごく自信のあった企画すら通らず、いつも上司や他人の案が採用されます。正直がっかりしていますが、どうすればよいでしょうか。(会社員/32歳/男)

A 選択肢が2つだけと思っていませんか?

あなたのお考えはこうでしょうか?「自分の企画案のほうが優れているのに採用されないのはおかしい。なぜ自分の案より劣った案が採用されるのか」。つまり、「私 VS 周囲の人たち」という図式の中で、「私のやり方は合理的で、実用的でもあり知的にも優れている。上司や他人のやり方は非合理的で、非実用的で馬鹿げている。しかし、権限があるのは向こうだからいつも向こうの意見に従わないといけない。これはフェアではない」と。

ここは、「従うべきなのかどうか」という判断ではなく、「自分の案」対「他人の案」という対立の問題として考えてみることにします。

ほとんどの争いは、2つの意見の対立から起きています。その際私たちは、「私の意見」対「他人の意見」という見方をしています。「私の意見はよい」「他人の意見は悪い、もしくは、私の意見よりも劣る」と考え、選択肢は2つしかないと考えています。つまり、どちらかを選ばなければならないというパラダイム(ものの見方)です。

しかし、こうした問題になったとき、本当にどちらか1つを選ばなければならないのでしょうか。皮肉なことに、私たちは気づいていませんが、「他人の意見」でも「私の意見」でも実は不十分なことのほうが多いのです。

どのような場面においても、本当は2つ以上の選択肢が存在しています。それは、私が「第3の案」と呼ぶ、お互いの意見よりもはるかに素晴らしくてよりよい「私たちの案」です。

私も相手も「Win」となる、私の意見も他人の意見も包括した、誰も思い描いていない「第3の案」は常に存在しているのです。この「第3の案」を求めるパラダイムを持つことができれば、「誰かの意見がいつも通る」とか「私の意見はいつも通らない」と言った考え方は無意味になります。